ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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最高の権力作用に関する考察〜『憲法改正とは何だろうか』

●高見勝利著『憲法改正とは何だろうか』/岩波書店/2017年2月発行

b0072887_1949084.jpg 日本の国会は衆参両院で改憲派の議員が三分の二以上を超え、いつでも憲法改正案を国民に発議し、国民投票に持ち込むことができる状態になった。本書は憲法を改正するということの法哲学的な意味を考え、現憲法の改正規定の成立過程をたどり、改正手続法の問題点を洗い出し、そのうえで安倍首相の憲法観の危うさを論じるものである。

 前半、憲法を改正するという営みがもつ法哲学的な意味をジョン・バージェスやハロルド・ラスキやらを参照しながら考察するくだりは私にはたいへん興味深いものだった。「改憲とは最高の権力作用である」という言葉は心に刻んでおく命題であるだろう。
 憲法改正による体制転換は正当かという問題については昔から種々の議論があるが、高見は芦部信喜の説を引いて次のように述べている。

 もとより、国民がそのオリジナルな制憲権を行使して憲法を創設する場合であっても、それが「立憲主義憲法」と評しうる憲法であるためには、「人間価値の尊厳という一つの中核的・普遍的な法原則」に立脚したものでなければならない。そして、この憲法をして憲法たらしめる「根本規範」ともいえる「基本価値」が、憲法上の権力である改正権をも拘束する。(p34)

 そのような理路を示したうえで「憲法の永続的性質ないし安定化作用の観点からすれば、憲法改正には限界があるとする」見解が「基本的に支持されるべきである」というのである。

 現憲法の改正規定の成立過程をたどるくだりは、かなり詳細な記述になっていて一般読者には専門的にすぎるかもしれない。とはいえ、国民投票法が長いあいだ整備されてこなかった背景についての分析は明快である。
「政府は、一貫して、憲法改正案とワンセット論で国民投票法の整備を考えてきた」と述べ、「したがって、憲法第九六条の手続の未整備は、憲法の明文改正を意図的に回避し、その解釈・運用で賄ってきた自民党歴代政権のしからしめるところである」と指摘しているのには納得させられた。

 安倍首相の憲法観にはむろん批判的だ。欧米首脳の前では憲法的価値の共有を力説しながら、国内向けには日本精神を基に憲法一新を説く姿勢を「二枚舌」と喝破するくだりはとりわけ舌鋒鋭い。
 全体的にややかったるい読み味といえば失礼かもしれないが、憲法改正を考えるうえでたいへん勉強になる本であることは間違いない。
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# by syunpo | 2017-04-20 19:50 | 憲法・司法 | Trackback | Comments(0)

偽物は本物の対立物に非ず!?〜『ニセモノ図鑑』

●西谷大編著『ニセモノ図鑑 贋造と模倣からみた文化史』/河出書房新社/2016年10月発行

b0072887_1221674.jpg 国立歴史民俗博物館が二〇一五年に開催した企画展《大ニセモノ博覧会─贋造と模倣の文化史!》の展示内容をベースに編集した本。ニセモノ(フェイク、イミテーション、コピー、レプリカなど)の意義や価値を文化史の観点から再考しようという試みである。

 人をもてなすうえで重要な空間だった大家の「床の間」を歴史的に再検証したり、偽文書の時代背景を考察したり、コピー商品の価値を天目茶碗を実例として吟味したり、人魚などの架空の存在を博物学的に振り返ったり……と内容は多岐にわたる。

 全体をとおしてニセモノ文化に対して寛容な態度、という以上に積極的な価値を見出そうとする姿勢が貫かれている。たとえば偽文書の研究をとおして当時の社会状況や時代背景を個別具体的に知ることができるし、博物館におけるレプリカには、実際に見聞することのできない物事を時空を超えて展観できる大きなメリットがあるだろう。

〈本物/偽物〉という旧套な二項対立を相対化・無効化するような論考はジャン・ボードリヤールをはじめこれまでにも提起されてきたので、本書のスタンスに独創性があるわけではない。が、基本的には本物を志向しているはずの博物館の企画展示という点では、冒険的なものであった様子がうかがわれる。そのあたりの楽屋話も後半に披瀝されていて興味深い。

 いささか散漫な印象は拭えないが、写真やイラストなどビジュアル素材がふんだんに掲載された作りは「図鑑」の名にふさわしく、楽しい本であると思う。
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# by syunpo | 2017-04-14 12:28 | 文化全般 | Trackback | Comments(0)

アナーキー!?な魅力に満ちた絵本〜『穴の本』

●ピーター・ニューエル著『穴の本』(高山宏訳)/亜紀書房/2016年4月発行

b0072887_18214158.jpg 絵本を開くと、文字どおりページの真ん中に穴があいている。トム・ポッツくんが銃をいじくって誤って発射してしまい飛び出したたまがあけた穴。たまはだいじなフランス時計をうちくだき、壁を突き抜けて台所のボイラーをうちぬき、ブランコのつなを切り、自動車、画家の絵、水そう……と次々に貫通していく。

 そのために、シュミットじいさんのパイプが割れたり、ディック・バンブルの麦のふくろに穴があいて麦がこぼれおちたりする。その一方で、ナシの木の枝が折れてその下で待っていた少年がナシをたくさん手に入れたり、ネコに襲われそうになっていたネズミが逃走できたり。

 たまはそうして地球を一周する勢いだったのだけれど、菓子づくりをしていたニューリウッドの奥さんの家のがっしりした氷に当たってしまい、おとなしくぺしゃんこに。あらゆるものを貫通して進んでいたたまが、最後にぺしゃんこになるというエンディングはなんだか示唆に富んでいる。

 ところで訳者の高山宏によれば、本には「おもちゃ本」「遊び本」と呼ばれるジャンルが以前から存在する。ポップアップ・ブックはなかでもよく知られているが、ほかにも本の中でページを折らせてみるなどいろいろな仕掛けがほどこされた本が作られてきた。「絵本の魔術師」といわれるピーター・ニューエルの手になる本書もそうしたジャンルに連なるものといえるだろう。

 さらに高山は「本は大切なもの」という規範が確立し本が大人の文化の象徴になった現代の知のあり方に対しても、本書をもって相対化せんと試みる。むろんそれもまた大人の見方・読み方であることを高山は充分に自覚しているのだが。

 それにしてもこうした絵本をみていると、本の「モノ」性を強く意識させられる。電子ブックの利便性は否定すべくもないが、「おもちゃ本」のような仕掛けは紙の本によってこそ可能になるからだ。紙の本に強い愛着感をアピールする物書きは未だに少なくないけれど、本書のような絵本に触れると郷愁ではなくもっと積極的な意味でモノとしての本の可能性を考えたくなる。何はともあれ、高山宏が翻訳するだけのことはある、大人が読んでも愉しい絵本にちがいない。
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# by syunpo | 2017-04-12 18:23 | 絵本 | Trackback | Comments(0)

入試問題でアクチュアルに歴史を学ぶ〜『「超」世界史・日本史』

●片山杜秀著『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』/文藝春秋/2016年12月発行

b0072887_1128141.jpg 日本思想史を専攻する片山杜秀が歴史の大学入試問題に挑戦するという企画。編集部選りすぐりの記述式問題に片山が回答の方針を述べた後に専門家の模範解答が示され、その後にまた片山が解説を加えるという形式である。選ばれた入試問題は全部で二十三問。〈世界史〉〈中国史〉〈日本近代史〉〈昭和の戦争〉〈戦国時代〉の五つに章分けされて紹介されている。片山が問題を解いていく過程がそのまま歴史の学習に役立つという仕掛けで、問題に対する論評もスパイスがきいていて面白い書物に仕上がっている。

〈世界史〉では、二〇世紀につくられた国際機構(国際連盟と国際連合)に関する一橋大学の問題に違和感を表明しているのがおもしろい。国際連盟は「何もないところから、第一次世界大戦のあまりにも悲惨な結果を反省した国々が、ウィルソンの理念に共鳴して、集まってできた」ものだが、国際連合の方は第二次大戦の連合国を母体とする。入試問題では両者ともにモスクワ宣言で打ち出された理念を具現化する国際機構として想定、出題しているのだが、片山は「連合国の意向でできた国際連合を平和を求める人類の善意でできたかのよう」に考えるのは「錯誤」であると問題そのものに対して疑義を呈するのである。

〈中国史〉における科挙に関する問題に関連して、中国を手本にした日本が科挙を導入しなかった理由について解説しているくだりも興味深い。「能力主義は身分制や地縁・血縁の論理とは相性が悪く、それを排除しようとする傾向があります。ですから、科挙官僚の批判の矛先は、貴族だけでなく、世襲で君臨している天皇に向かった可能性があります」と片山は推論している。

 日本史関連では「統帥権の独立」の解釈が政治的対立の重要な争点となった事件(ロンドン海軍軍縮会議における統帥権干犯問題)の解説に片山らしさがはっきりと出ている。かねてからの持説である「未完のファシズム」問題の一端に論及しているからだ。
 当時、軍政と軍令は分離されていたが、これは明治憲法の権力分立思想の一面を示す仕組みでもあった。片山の見方によれば、統帥権干犯問題は軍政と軍令が分かれていたことに起因する。明治憲法下の権力分立による統治機構は総力戦時代には適合せず、権力の一元化を旨とするファシズム国家にはついになりえなかったというのが片山の「未完のファシズム」論である。

 このほか、昨今の欧州とイスラム圏との対立の根源に遡らせて十字軍遠征について答えさせる慶応義塾大学の設問と解説も骨太の歴史認識を問うもので勉強になったし、中国共産党と中国国民党との関係を問う問題なども現在の日中関係を考えるうえでは参考になるものだろう。

 片山の歴史観が時に強く押し出された本書の記述には賛同できない点もなくはないけれど、「アクチュアルに歴史を学ぶ」には恰好の新書であることは間違いない。
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# by syunpo | 2017-04-08 11:30 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

透明な膜が俺たちを包む〜『ビニール傘』

●岸政彦著『ビニール傘』/新潮社/2017年1月発行

b0072887_2036829.jpg『断片的なものの社会学』で話題を集めた社会学者の初の小説集。芥川賞の候補にもなった表題作に加えてもう一篇〈背中の月〉を収録している。鈴木育郎の撮った街の写真をふんだんに使って何とか一冊の本にしたという印象なきにしもあらずだが、ふだん小説を読まない人にも手にとってもらいやすい雰囲気をつくりだしているともいえるだろうか。

〈ビニール傘〉は大阪の片隅に住む若者たちの群像を複数の視点から描き出す。タクシー・ドライバーの男、ビルの清掃作業員、コンビニ店員、部品工場で働く派遣社員、解体屋の飯場で働く男……。視点が矢継ぎ早に切り換わっていくスタイルはやはり断片的ともいえる。が、読みすすむうちに彼らと交流のある女性は相互に関係しあい、あるいは人物そのものが重なっているかもしれないという図柄が浮かびあがってくる。あえて明瞭に描かない暈した書き方をしているのは最初から作者が意図したものであるだろう。

 沈滞する大阪を慈しむような岸の筆致には共感するし、大阪弁の会話も楽しい。困難な今を生きようとする若者たちのすがたにもある種のリアリティを感じることはできる。これが文学作品として傑作かと問われれば答えに困るかもしれないけれど、読者の想像力にゆだねる余地をいくつも残しているという点では当然のことながら『断片的なものの社会学』にもまして良い意味で文学的である。

〈背中の月〉は妻をなくした男の心象風景を描いていて表題作に比べるとシンプルな構成を採っている。全体的にやや感傷的な雰囲気が支配していて私はあまり好きになれなかったが、夫婦の何気ない会話などに作者一流のさりげないヒューモアやペーソスが宿っていて捨てがたい味わいがあることも確かだと思う。
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# by syunpo | 2017-03-29 20:50 | 文学(小説・随筆) | Trackback | Comments(0)