非難の声とともに美術史の歯車は回転する〜『近代絵画史 増補版』

●高階秀爾著『近代絵画史(上)増補版 ロマン主義、印象派、ゴッホ』『近代絵画史(下)増補版 世紀末絵画、ピカソ、シュルレアリスム』/中央公論新社/2017年9月発行

b0072887_18535790.jpg 高階秀爾といえば西洋美術の通史を学ぼうと思った人なら必ず見聞する名前だろう。上下巻から成る本書は、ロマン派から第二次世界大戦までにいたる「近代絵画」の歴史を主要な画家や芸術運動の事跡をたどりながら記述したものである。初版は一九七五年に刊行されたが、新たな研究で明らかになった史実や作品の基本的情報について必要な補訂を施したほか、掲載図版をすべてカラーにしたのが増補の主な内容。

 上巻ではロマン派からナビ派まで、下巻では世紀末絵画から抽象絵画へと至る道筋をふりかえる。通常、近代絵画を語る場合には印象派から始めることが多い。しかし本書のスタンスは違う。

 ルドルフ・ツァイトラーは、一九世紀とは「様式」という概念が通用しなくなった時代だと規定した。芸術家たちは形式上の統一性よりも、自己の個性と内面性と主観性を追求するようになったからである。ならば近代絵画の出発点をロマン派の時代にまでさかのぼる必要があると高階秀爾はいう。「個性の追求といい、内面性、主観性の表現というものは、何よりもまずロマン派の画家たちが求めたものだからである」。ヴィクトール・ユゴーがロマン主義を「遅れてきたフランス革命」だと定義したこともこの文脈において極めて示唆的である。

 ゆえに本書では「近代絵画史」をロマン派から語り起こすのである。ゴヤはその意味で近代絵画の先駆者であった。宮廷画家から告発者的な作品を経て「黒い絵」に至る道程は、近代の夜明けが直面した矛盾や葛藤を体現していたからである。

 その後につづくターナー、コンスタブルの風景画と近代性との関連を考察するくだりも興味深いし、コンスタブルの風景画は印象派に強い影響を与えたという指摘も重要だろう。

 もっともデカルト以来の普遍的な理性に対する信仰は、新古典主義に顕著にみられるものであった。フランスにおける新古典主義の総帥ダヴィッドは「芸術家は哲学者であらねばならない」と考えていたらしい。

 それに対してロマン派の「近代性」はいささかスタンスが異なる。

 ……ロマン派は、理性に対しては感受性を、デッサンに対しては色彩を、安定した静けさに対してはダイナミックな激しさを、普遍的な美に対しては民族や芸術家の個性を、優位に置いた。つまり、ひと言で言えば、「古代」に対して「近代」を主張したのである。(p44)

 ロマン派、新古典主義と近代思想との連関は、高階の見立てによればいささか錯綜しているというか一筋縄ではいかないように感じられる。それもまた歴史のおもしろいところではあるだろうが。

 写実主義の観点からはもっぱらコローが重点的に論じられている。「富も名誉も求めず、ただひたすら自然の歌を歌い続けたコローは、その長い生涯のあいだに、フランス絵画を新古典派から印象派の入口まで、いつの間にか持ってきてしまった」という。

 そして、クールベ、マネ、ドガの登場となれば、そのモティーフからいってもより近代絵画らしくなってくる。もちろん高階はマネについて近代的な風俗を超えたところに魅力のありかを見出している。「われわれが今日マネの作品に惹かれるのは、それが第二帝政や第三共和制時代の風俗を伝えてくれるからではなくて、色彩と形態による詩の世界が歌い上げられているからである」と。

 そうして印象派の時代が到来する。いうまでもなくこれは美術史における画期的な出来事であった。印象派に関しては新印象派を含めてかなりの紙幅を費やしているのは当然だろう。筆触分割などの技術的な問題を論じたうえで「印象派によって色彩は「解放」され「自律性」を与えられたのである」と論じるくだりが文字どおり印象に残った。
 さらに印象派はその運動の後期の過程において、みずからを否定するような動向を示した点で美術史のダイナミズムを感じさせる。

 ……一八八六年の第八回印象派グループ展は、形式的には印象派の最後の展覧会であったが、実質的には、「反印象派」の最初のマニフェストであったと言ってよい。(p162)

 印象派の美学の影響のもとに育ったゴーギャン、ゴッホ、ルドンらは、やがて反印象派ともいうべき方向へと舵を切る。眼に見える世界をそのまま再現するだけでなく、眼に見えない世界、内面の世界にまで探求の眼を向ける。象徴主義と括られる傾向である。

 その後に登場したナビ派も、画面を「自然に向かって開かれた窓」たらしめようとした印象主義に反対して、自然とは別の画面それ自体の秩序を求めたゴーギャンの考えをそのまま受け継ぐものであった。
 モーリス・ドニの絵画の定義はそれを端的に表現している。すなわち「絵画作品とは、裸婦とか、戦場の馬とか、その他何らかの逸話的なものである前に、本質的に、ある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な表面である」と考えたのである。

 魂に形を与えることを志向したドラクロワらのロマン主義から、目に見えるものだけを描く印象派へ、そして再び内面の世界の探求を旨とする象徴主義へ。 ……こうした流れをみていると、近代における西洋絵画の歴史は行きつ戻りつしながら今日へと至ったことがよくわかる。

b0072887_18542780.jpg 下巻では世紀末の絵画の概説から始まる。
 西洋絵画の世紀末は「ヨーロッパ全体が二十世紀になだれこもうとする豊かな混乱と胎動の時代」であった。そのなかでは、セザンヌ礼賛で知られるモーリス・ドニやルドンらの名前を挙げることができる。

 ドイツ表現主義は、二〇世紀初頭に顕著になった芸術動向を指すが、高階はもともとドイツでは表現主義的傾向が強く存在したことを指摘することを忘れない。ただしそうした傾向を「民族的性格」と規定する安直な記述には疑問が残るけれども。

 同じ頃、フランスでも表現主義的な傾向を示していた。フォーヴィスムはその一つのあらわれである。マティスをはじめヴラマンク、ドラン、ルオーらが活躍した時代である。もっともフォーヴィスムはあくまでも純粋な造形芸術運動であったという点で、ドイツ表現主義とは異なるものであった。

 ついでピカソ、ブラック、レジェ、グリスらによるキュビスムの時代がおとずれる。

 ……キュビスムがなしとげた変革は、単に表現様式上のものというよりも、もっと深く人間の世界認識にかかわることであった。統一的な視覚像の崩壊は、とりもなおさず画家の視点の持つ特権的な位置の否定を意味するものであり、人間中心の世界から対象中心の世界への移行を予告するものであった。(p96)

 アンリ・ルソーは一般に素朴派の代表格と目される。先行者の絵画との格闘ぶりをふりかえるならば、なるほど一見したかぎりでは素朴な印象を受ける。しかし今日的な視点からみると、写実主義の破産の後に台頭し、画家自身の「心の状態」を反映した画風はキュビスムの映像世界とも結びつくなど、素朴なる概念だけでは捉えきれない美術史的にも極めて意義深い存在であることは疑いえない。

 ルソーの心酔者であったアポリネールが、シャガールのなかにも同様の詩的世界を見出したことは注目に値する。当時のパリにはさらにモディリアーニ、パスキン、キスリングら錚々たる顔ぶれが集まってくる。こうしてエコール・ド・パリの時代が花開く。多くの才能がパリに集まったこの時代は、芸術の都の名にふさわしい様相を呈していたというべきかもしれない。

 機械文明への賛美を始めたのは未来派である。

 機械文明の勝利を造形表現の上においても確認しようとするこの未来派の運動は、ある意味で、産業革命以後十九世紀を通じて積み重ねられてきた科学技術の発展の当然の帰結であったとも言える。(p142)

 しかしながら、まもなくそれに反発する人々もあらわれる。ダダイズムである。詩人たちを中心にして始まったその運動は、ピカビアとデュシャンが登場するに及んで美術史においても一つの運動として明確な形をとるようになった。それは「大胆に既成の価値を否定しながら、同時に現代文明に向かって、痛烈な批判を投げかけるものであった」。

 ダダの運動に参加した人たちのなかから、シュルレアリスムの担い手があらわれる。偶然性の利用やオートマティスムなど、後にシュルレアリストたちが好んで用いる手法は、実はいずれもダダの仲間たちによって試みられていたものであったという。

 ドイツにうまれたバウハウスも近代美術史において軽視できないものである。それを主導したグロピウスの基本的な意図は「社会からあまりにも遊離してしまった芸術活動をふたたび社会のなかに正しく位置づけようとする」ものであった。

 そしてついに人類の絵画は抽象絵画の時代へと突入する。「純粋な色と線との純粋な関係」こそが「純粋な美」と考えた彼の考え方に、現代の抽象絵画の理念が詰まっているといえるのかもしれない。

 想像力をキーワードにして、ロマン派から象徴派へ、そしてシュルレアリスムへと進む美術史の流れを簡潔に語る本書の記述は一つの確かな美術史といっていいのだろう。それにしても印象派もフォーヴィスムもキュビスムも、それが始まったときにはいずれも激しい非難や嘲笑を浴びたという史実の繰り返しはまことに興味深い。

 芸術上のあらゆる創作は文脈依存性を有する、と言ったのは古典作品のパロディで知られる森村泰昌である。そういう意味では作品を鑑賞することと美術史の学習とは切り離せない。難解といわれる現代の抽象画でも、美術史を学ぶことでより親近感をもって鑑賞できるようになるのではないかと思う。美術史を学ぶこともまた知的な悦楽である。
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# by syunpo | 2017-12-15 19:10 | 美術 | Trackback | Comments(0)

日本人ならではの知恵がこもる!?〜『愛と狂瀾のメリークリスマス』

●堀井憲一郎著『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』/講談社/2017年10月発行

b0072887_19315027.jpg クリスマスは今や日本の年中行事の一つとしてすっかり定着した。しかし一部には未だにこのイベントに対して懐疑的な態度をとり続ける大人たちがいる。キリスト教徒でもないのにワケもわからず大騒ぎしている、と。商売人の煽りに乗せられているだけというのもアンチ・クリスマスの常套句のひとつだろう。

 私はかねてからそのような「大人」の態度にこそ違和感をおぼえてきた。そんなことを言い出せば、日本の「伝統行事」の少なからぬものが同じような懐疑や揶揄の対象になりうるからだ。「伝統」と称されているもののなかに日本土着のものがどれほどあるというのか。外国文化の断片的皮相的な摂取というなら、何もクリスマスだけに限らない。クリスマスに対してことさらに違和感を表明することの方が不自然ではないのか。

 堀井憲一郎も私のそれとは文脈をやや異にするもののクリスマスへの違和感に対して違和感を抱いてきたらしい。というわけで、本書は日本におけるクリスマスの受容の歴史をたどるものである。前半は布教者の記録などの文献、明治以降はもっぱら朝日新聞の記事を丹念に読み込むという手法を採って日本のクリスマス受容史にアプローチする。

 クリスマスのありようは時代とともに変遷を遂げてきたが、どの時代を切り取っても当時の社会動向や政治思潮と強く連動していることを示していて興味深い記述がなされている。「日本のクリスマス受容の動きは、『西洋文化を取り入れつつも日本らしさを保とうとする努力の歴史』であり、日本人が世界を相手に生き抜く知恵だと見ることができる」という著者の結論的な認識にとくに異論はない。

 あくまで敬虔な信者だけの集まりだった安土桃山、江戸時代の真面目なクリスマス。「キリスト教の宗教的内容は取り入れない。ただ西洋列強の文化はキリスト教を基盤として成り立っているから、キリスト教も学ばないといけない。宗教部分を抜いた “文化としてのキリスト教” をうまく取り入れ」ようとして今日の年中行事化の土台をつくった明治期のクリスマス。戦勝気分がバカ騒ぎをもたらした日露戦争後のクリスマス……。

 大正天皇崩御の翌年のクリスマスをめぐって上杉慎吉と柳田國男が交わした意見交換などもなかなか興味深い。
「クリスマスは宗教行事なのだから、非信徒である日本人がその日を祝うのはおかしい、ただ子供の日だと考えるとよいのかもしれない」というのが上杉の意見。それに対して柳田は「あれは近年はやりだしてきた “冬の遊び” にすぎない、そもそもクリスマス自体がキリスト教とは関係のない “冬至の行事” である」と応えたのである。ただし天皇崩御の翌年くらいは自粛したらどうかという点で両者は意見の一致をみている。

 そして意外にも満州事変が勃発した昭和六年から三年間は「日本クリスマス史上もっとも狂瀾的に騒いでいた時期」だという。軍事国家化が外地で進むぶんには、国民はクリスマスの熱狂を自粛しようとは思わなかったのだ。そのことを「きちんと記憶しておくべきである」とは重要な指摘だろう。

 一九七〇年代以後は朝日新聞をフォローするだけでは不充分とみなして、女性雑誌の「アンアン」「ノンノ」や男性雑誌の「ポパイ」「ホットドッグ・プレス」などの引用もはじまる。著者自身が同時代的に体験した時代なので、記事に対するアイロニカルな筆致が前面に出てくる。メディア批評的な文章は、前半とはテイストの異なる読み味を醸し出す。

 もっとも文献資料に偏向やバイアスがあるのは当たり前の話。メディア批評の部分を強調されると、特定の記事のみをベースにした本書の記述全体の信憑性が揺らぐパラドックスに陥るわけで、そこにツッコを入れたくなる生真面目な読者ならば本書の評価は辛くなるだろう。

 ついでに記せば、キリスト教の布教に対する物言いが時に辛辣だったりするのはテーマにも沿った記述だから良しとしても、史実の見方が短絡的だったり、政治的な事象には冷笑的だったり……と枝葉の部分で余計な一言が出てくる箇所が少なからずあって、その点も少し鼻についた。

 そんなわけで、歴史や民俗の研究書的なつもりで手にとると、方法的な不備が批判の対象になりそうだが、コラムニストによる主観的な読み物の一つと割り切って付き合うぶんにはそれなりにたのしめる一冊といえるだろう。
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# by syunpo | 2017-11-28 19:36 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

戦争する国にしないための〜『18歳からわかる平和と安全保障のえらび方』

●梶原渉、城秀孝、布施祐仁、真嶋麻子編『18歳からわかる 平和と安全保障のえらび方』/大月書店/2016年1月発行

b0072887_19112982.jpg 武力によらない平和。それをいかに実現していくべきか。本書では、安倍政権が強行採決した戦争法の批判的検討から始め、安倍政権にいたるまでの戦後日本の平和と安全保障のあり方をあらためてふりかえる。そのうえで武力によらない平和構築に向けての構想を提示するという構成である。執筆者は若手の研究者や活動家たち。

 書名からも察せられるとおり入門的な内容で、とくに目新しい視座を提供してくれるものではないけれど、安全保障の問題を考えるうえで押さえておくべき論点はひとおおり解説されている。

 国連によって認定されていることが正当化の大きな根拠になっている集団的自衛権について「国連本来のビジョンとはかけ離れている」ことに論及しているのは真嶋麻子。「国連発足の際に『集団的自衛権』の文言が国連憲章草案に加えられることとなったのは、東西冷戦の始まりが予兆される時代の、連合国間の相互不信を背景としている」という。さらに二〇世紀後半の大国による中小国への軍事介入の多くが、集団的自衛権の行使を理由とした武力の発動だったという指摘も重要だろう。

 また、軍事組織が存在しないことになっている現憲法において「文民」なる用語が使われているのは以前から不思議に思っていたが、三宅裕一郎はその点に関して「芦田修正」をめぐる当時の状況を解説していて興味深く読んだ。極東委員会は「芦田修正によって『自衛』のための実力の保持が可能となり将来的に軍隊が創設されるかもしれない」と懸念し「帝国議会貴族院での審議の大詰めになって、内閣のメンバーは軍人ではない『文民』でなければならないとする文民条項(憲法66条2項)を挿入するよう強く求め」たのだという。

 日米安保条約や日米間の密約については、布施祐仁の論考が本質的な問題点にふれていると思われる。「日米安保条約に基づく在日米軍は日本防衛のために存在しているわけではなく『米国中心の世界秩序の維持存続』を目的とする軍事作戦のために存在している」ことが未だに広く認識されないのはおかしなことだと思う。

 沖縄に米軍基地が過度に集中するようになった背景には、日米両政府が日米安保体制を維持するために、本土では基地を削減し安保の「不可視化」を進めながら、沖縄にその負担を押しつけてきた歴史があるという現代史の基本認識は全国民的に共有しておきたいところだ。

 日米間の密約にはさまざまなものがあるが、裁判権放棄についても密約があることは恥ずかしながら本書で初めて知った。旧行政協定では、日本の当局が米軍関係者を逮捕してもすぐ米軍に引き渡さねばならなかった。現行の地位協定では公務外の犯罪については日本が第一次裁判権を有すると明記されている。しかし、一九五三年の日米合同委員会で「日本にとっていちじるしく重要と考えられる事例以外」について第一次裁判権を放棄すると日本の代表が表明し、これが非公開議事録として残されたのである。裁判権放棄密約はいまも有効だと考えられる。

「コンフリクトとは、平和紛争学において、人間社会を平和的手段によって転換するための恰好の契機」という奥本京子の論考も示唆に富む。人々の多様性を認め、平和で人権が守られる社会をつくるには、社会の深いところにあるコンフリクト(葛藤・対立・紛争)を顕在化させることだという指摘には納得させられた。対立が表面化することを悪しきことのように考えがちな日本の社会風土を変えていくことが必要ではないだろうか。

「平和と安全保障は、普段生活するなかではなかなか実感できない、縁遠いものかもしれません」と本書の冒頭に記されている。平和や安全が脅かされたときに初めて我々はその価値を実感するのだろう。まがりにも自由に考え行動できるうちに、発言すべきことを発言しやれることをやっておきたいものだ。
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# by syunpo | 2017-11-25 19:15 | 国際関係論 | Trackback | Comments(0)

人類の営みと歴史を垣間見る〜『世界の美しい窓』

●五十嵐太郎+東北大学都市・建築理論研究室編著『世界の美しい窓』/エクスナレッジ/2017年10月発行

b0072887_194074.jpg 窓は建築の中でももっとも魅力的な部位かもしれない。冒頭でそのように言明する本書は、文字どおり世界の美しい窓を紹介するものである。編者の五十嵐太郎はその惹句につづけて窓に対する認識を次のように示している。

 ファサードを人間の顔に見立てるならば、まず窓は目になるだろう。すなわち、目が顔の印象をつくりだすように、窓は建築の表情を決定する大きな要素である。もちろん、目になぞらえるのは、窓から光を室内に採り入れるだけではなく、窓を通じて部屋にいる人間が外の風景を眺めるからだ。また空気を入れ換えることも窓に求められる機能である。エアコンなどの空調設備が現在ほど整っていない近代以前には、より一層重要な役割を果たしていた。とすれば、通風のための窓は鼻や口にも似ていよう。

 さまざまな機能をもつ窓がつくりだす豊かなデザイン。すべての項目にカラー写真を配しているので「古今東西の建築を旅するかのように」読者はページをめくっていくことになる。

 本書は二部構成である。「窓を外から見る」1章と「窓を内から見る」2章から成る。さらにそれぞれを「遠景」「中景」「近景」の三つにカテゴリー分けして、窓や建築に対するアプローチのしかたを変えていくのも編集の妙といえようか。

 ピックアップされているのは、歴史的な宗教的施設や観光名所的建築、古い街並みや建築家の私邸まで多岐にわたる。窓という一つの切り口だけで、世界の建築の多様性と同時に意外な共通性を知ることができるのは一つの驚きといっていいかもしれない。

 降り積もった火山灰が円錐状を成す岩を利用した〈カッパドキア〉。岩内部に洞窟状に広がる住居は階数の概念に乏しいため、窓やテラスの位置はバラバラになっているが、深く掘られたテラスは各戸のプライバシーを確保し、日射を遮る機能性をも有している。

 ル・コルビュジエの名作〈サヴォワ邸〉は、二階の端から端までつながる横長の窓が圧巻。水平連続窓と呼ばれるそれは、モダニズム運動を主導したル・コルビュジエが提唱した「近代建築の五原則」に含まれるアイデアという。

 イエメン〈サナア旧市街〉のカマリアの窓は歴史を感じさせて見る者の想像力を掻き立てる。インドの〈繊維業会館〉にみえる「陽光砕き」の意味をもつ「ブリーユ・ソレイユ」なる形式のファサードもおもしろい。

 アントニ・ガウディの〈カサ・バトリョ〉の曲線美は今さら賞賛するまでもないだろう。ヒンドゥー教や道教の影響を受けているらしいシンガポールの〈タン・テンニア邸〉の独特の色彩もインパクト充分。

 一六世紀末に竣工した〈サン・ピエトロ大聖堂〉のドーム天井部分にある長方形窓からは光がさしこんで美しい。大きな天窓をもつ〈ソロモン・R・グッゲンハイム美術館〉はフランク・ロイド・ライトの傑作だ。マルクスか通ったことで知られる〈大英博物館図書室〉の二十個の窓と頂部の巨大な天窓は、大英帝国のかつての栄華を感じさせるスケール感。

〈アマリーエンブルク離宮〉のトリッキーな窓の細工もおもしろいし、〈ロンシャンの礼拝堂〉の白いコンクリート壁一面にあけられた窓は形状的には日本の城壁に穿たれた「狭間(さま)」を想起させて興味はつきない。安藤忠雄の〈光の教会〉は十字型のスリットから光がさしこむ仕掛けで、本書でもやはり取り上げられている。

〈シャルトル大聖堂〉のステンドグラスは壮観そのものだし、パリにある〈アラブ世界研究所〉の窓は、メカニカルなデザインとイスラムの伝統的な意匠を巧みに融合させて印象深い。

 そうしたなかで、個性的なウィンドウレス・ハウスとして掲載されているのが、名古屋市にある〈竜泉寺の家〉。コンクリート打ち放しの矩形の建築で、そのシンプルな造りがかえって本書のなかで異彩を放っている。

 窓は、建築のキャラクターを決めるだけでなく、連続して並ぶ同じ様式の建築で用いられると、窓は街並みをつくりだすこともできる。逆に屋内にいる人たちは、窓枠という切り取られたフレーム越しに外を眺めることで、窓による「額縁効果」を感受することにもなるだろう。ついでに記せば「同窓生」という言葉があるように、窓という漢字には「勉強所」という意味もある。

 窓がつくりだす豊かなデザイン。いや、デザインというレベルにとどまらず、窓をとおして私たちは人類の営みやその歴史を垣間見ることができるといってもいいかもしれない。
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# by syunpo | 2017-11-20 19:06 | 建築 | Trackback | Comments(0)

世代から世代へ育まれた珠玉の言葉〜『誰も知らない世界のことわざ』

●エラ・フランシス・サンダース著『誰も知らない世界のことわざ』(前田まゆみ訳)/創元社/2016年10月発行

b0072887_1912452.jpg 同じ著者による世界的ベストセラー『翻訳できない世界のことば』の姉妹編ともいうべき本。本書は世界中からユニークなことわざを集めたもので、世界各地の言語表現への熱い関心を示している点では前著とコンセプトは共通する。著者自身のイラストを添えた親しみやすい編集スタイルもそのまま踏襲している。

 ことわざにはその言語を話す人々に共通の世界観なり人間観なりが端的に表現されているものだ。一定の時間をくぐりぬけて現代に伝わってきているものだから、短い言葉のなかにキラリと光る世界の真実の一面を端的に言い表わしているともいえるだろう。もちろん互いに矛盾するようなことわざの組合せも少なくないけれど、それはそれで世界の多面性を反映しているとも考えられる。

〈カラスが飛び立ち、梨が落ちる〉という韓国語のことわざは、いかにも関係がありそうな二つのことがらの間に必ずしも因果関係があるわけではないことを表現したもの。人間には、おしなべて意味のない情報から意味のあるパターンを見出そうとする傾向があると著者はいう。

 ポルトガルに伝わる〈ロバにスポンジケーキ〉は、日本や英語圏なら「豚に真珠」に相当する。それを得るに値しない人に何かを与えることの無意味さについては、古来、各地においてざまざまな比喩でもって表現されてきたようである。

〈目から遠ざかれば、心からも〉は「去る者は日々に疎し」のヘブライ語版。〈ある日はハチミツ、ある日はタマネギ〉は「勝つこともあれば負けることもある」というアラビア語の古諺で、英語の “You win some, you lose some” にあたる。

〈水を持ってきてくれる人はそのいれものをこわす人でもある〉はガー語のことわざ。「ガー」はガーナの一部族とその言語の名称である。遠い所へ水を汲みに行く人は、それゆえに水を入れる器を最も壊しがちであるということを述べたものだ。すなわち、何かを成し遂げようと努力してその最中にうっかりミスをしてしまってもその人を批判すべきでない、という含意がこめられている。

 ヒンディー語のことわざ〈水が半分しか入っていない壺のほうが水がよくはねる〉は「本当の知識を持っていない人に限って、必要以上の大声で語り、飛び回り、また腕を大きく動かしておおげさな身ぶり手ぶりをする」という意味をあらわす。本邦の政治家の言動をみているとなるほど真実の一面をついているのではないかと思う。

〈一輪の花だけが春をつくるのではない〉というアルーマニア語の表現は「たとえ重要そうに見えても、ひとつの現象だけでは全体を判断できない」ことを教えるものである。情報化社会の現代にいっそう当てはまりそうな箴言といえようか。

 本書を読むと、世界には様々な言い回しの妙があることを知ると同時に、表現は異なっていても同じような人生訓や世界観を人類は共有しているのだなとも感じる。ちなみに数ある日本語のことわざから選ばれたのは〈サルも木から落ちる〉〈猫をかぶる〉の二つ。

 強いて本書の難をいえば、アフリカ系言語からの選択が少ないことだろうか。ツイッターなどで見かけるアフリカのことわざにはユニークで面白いものが多いので本書にも期待したのだが、その点はやや残念な構成。さらに、それぞれのことわざに付けられた著者のコメントがいささか野暮ったい感じがした。もちろんそれらの点を差し引いても楽しく読める本には違いない。
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# by syunpo | 2017-11-16 19:07 | 文学(翻訳) | Trackback | Comments(0)