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「不平等」を正すために〜『格差社会と教育改革』

●苅谷剛彦、山口二郎著『格差社会と教育改革』/岩波書店/2008年6月発行

「不平等」を正すために〜『格差社会と教育改革』_b0072887_1020968.jpg 岩波ブックレット・シリーズの一冊で、前半に苅谷の講演記録、後半に苅谷と山口の対談が収録されている。社会の格差拡大が進行していくなかで教育行政はいかにあるべきか、教育学と政治学という二つの立場から相互に連関しあいながら簡潔に提起した好著といえる。

 苅谷は、日本の教育現場における格差拡大の一例をPISA(OECDによる国際学力比較テスト)の調査結果から読み取る。生徒の学力をボトムクラスからトップクラスまでいくつかに階層化して二〇〇〇年と二〇〇三年の数学のテスト結果を比較してみると、ボトム二五%以下のクラスで四〇ポイント近く学力が低下している。つまり「一番の問題は平均点が落ちたことではなく、この学力の低い子どもたちの学力が、より低下したということ」だと指摘する。

 また、日本の教育の議論の多くは「あれも必要、これも必要」と望まれる機能をリストに加えていくこと、すなわちポジティブリストの発想が強いが、それが教育のキャパシティを超えているために教育現場に過重な負担がかかっていることに警鐘を鳴らす。

 元来、戦後日本のとってきた教育行政は、全国で教育の質を均等に平等にしようとする「標準化」政策であり、そうした政策が教育の「平等」を支えてきたのだが、昨今の競争原理に基づく「メリハリ」の効いた予算配分などは、その標準化政策を根底から変えるものである。だが、その正当性を裏付けるようなエビデンスもなければ、政府にそれ相応の覚悟もみられない。

 山口はそれを受けて「新自由主義」的な政策を国民が支持しているわけではないとの認識を示しながら、消費者主権的な発想に基づく「学校選択の自由」のような政策がもたらす弊害(地域格差の拡大など)に注意を喚起している。教育においては公的セクター(公立学校)の役割は依然として重要であり、「委任という基本的なかたちは前提としつつ、専門家集団の使命感と誇りを作り直していく必要」を力説する。

 昨今注目を集めているフィンランド型の教育について、苅谷が人口規模や教育と職業構造との接点の相違が大きいことを挙げて「モデルとしては難しい」と述べ、日本独自のモデルでやっていく方が現実的との認識を示しているのも注目すべき点だろう。

 教育問題に関する議論は、たとえば教育基本法改正をめぐる議論に象徴的に見られたように、ややもすると観念的な議論に終始するケースも少なくないのだが、ここでは具体的なデータや事象に基づいた主張がなされていて、その点では説得力のある議論が展開されているように思った。
by syunpo | 2009-01-15 10:30 | 教育 | Comments(0)
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