●四方田犬彦著『日本のマラーノ文学』/人文書院/2007年12月発行
スペインは中世を通じてイスラム王朝に支配されていたが、イスラム教徒は異教徒に対して寛大であり、領土内ではキリスト教徒もユダヤ教徒も迫害を受けることなく自由に生活していた。だがイベリア半島の北部に撃退されていたキリスト教徒がレコンキスタ(国土再征服運動)によって支配権を確立すると、イスラム教徒とユダヤ教徒は「異教徒」としての扱いを受けることとなった。イスラム教徒の多くはキリスト教に改宗して迫害を免れたが、国内に残ったユダヤ人の中には外面的にはキリスト教徒を装いながら、みずからの信仰を捨てずに隠れユダヤ教徒としての人生を選ぶ者も少なくなかった。またキリスト教に改宗した者たちもいつ「異端審問」を受けねばならぬかと恐怖感のうちに暮らさねばならなかった。「マラーノ」とは豚を意味する言葉で、そうしたユダヤ人たちに向けられた蔑称である。四方田は、この「侮蔑的な表現を裏返しに活用し、隠れユダヤ人を示す歴史的な用法から解き放つばかりか、より普遍的な意味で、人間が本来の出自を社会的に隠して生き延びなければならない状況一般に用い」て、日本における「マラーノ文学」について考えていこうとする。 本書に登場するのは、ある時は「中国人」として戦後には「日本人」としてスリリングに生き抜けた李香蘭、在日朝鮮人としての出自を隠して日本の伝統文化への造詣を深めた立原正秋、生涯にわたって生地の「路地」に拘泥し続けた中上健次、アクション俳優として活躍しながらも在日朝鮮人として鮮烈な戯曲を残した松田優作、大阪生野で生まれ育った芥川賞作家の玄月などだ。 ここに収められた論考の対象となっている人物は、これまでにも著者が折りに触れて言及してきたものが大半で、その意味ではとくに目新しさは感じられないものの、「マラーノ文学」として整理され、あらためて問題提起されてみると、知的刺戟に満ちた文学批評の一つの試みとしてたいへん意義深く感じられる。 なかでも印象深かったのは《劇作家としての松田優作》と題する論考だ。 松田優作は一九七〇年代、アクションスターとして多忙な日々をおくるかたわら、みずから劇団を率いて劇作家兼演出家として活動していた。四方田は、最後の劇作《真夜中に挽歌》にスポットをあて、彼の「マラーノ」性について真摯な考察を加えている。その戯曲は二つの原稿が残されているのだが、暴走族の若者に託してみずからの出自に関わる義憤や暴力性が生々しく投げ出されているのだ。四方田は、中上健次を対比させながら「われわれは彼を育んできたマラーノ的状況を見つめ直すことで、俳優としての彼の軌跡を再検討するところに差しかかっている」と結んでいる。 松田優作といえば、村川透の《最も危険な遊戯》などの「遊戯」シリーズをはじめ、《家族ゲーム》における不思議な家庭教師や《陽炎座》における怪演など、映画俳優として極めて個性的な足跡を残している。今後、彼の出演したフィルムに触れる時、これまでとは違った視線で彼の姿をスクリーンに見出すことになるだろう。 また、生前親交の厚かった中上健次に関する二つの文章《中上健次の詩》《中上健次 路地の映像》は、中上の本分である小説以外の作品、「詩」と「映像」をめぐって記したもので、こちらも中上の多面性を浮き彫りにしており、また彼の文学を理解するうえで大いに示唆的な文章である。 ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
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