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相互啓蒙としての〜『政治を語る言葉』

●山口二郎編著『札幌時計台レッスン 政治を語る言葉』/七つ森書館/2008年7月発行

相互啓蒙としての〜『政治を語る言葉』_b0072887_17392394.jpg 本書は北海道大学大学院教授の山口二郎が二〇〇七年から始めた「フォーラム in 札幌時計台」の第一シリーズの講演と対談記録をもとに、書き下ろしを加えて再構成したものである。登場するのは、山口二郎のほかに、中島岳志、辛淑玉、香山リカ、佐藤優。

 山口二郎の講演録《岐路に立つ戦後日本》は、論旨としては既刊書『戦後政治の崩壊』『ポスト戦後政治への対抗軸』などで展開した主張に沿ったもので新味はないものの、戦後史の「イメージ」を再構成していくなかで永井荷風や中野重治などを引きながら戦後の出発点に思いをめぐらせているくだりは興味深く読んだ。

 「保守思想」の空洞化を憂える中島岳志の論考《アンチの論理を超えるために》は、エドマンド・バークに依拠しつつ「近代保守思想」の再定義を試みたものである。
 人智の限界を直視し、それ故に「人間の理性によって構想された政治理念よりも、長年の歴史によって形成された制度や秩序に価値を見出」すのが真の保守思想だというのだが、現在の日本において価値が見出されるべき歴史的制度や秩序として具体的にいかなるものを想定しているのかまったく言及されないので、消化不良の感が否めない。経験や現実に立脚するのが保守思想の基本と言いつつ、生硬で概念的な発言に終始している本論考からは中島の本領は残念ながらほとんど伝わってこなかった。
 保守思想の論客ということでいうなら『大衆への反逆』を引っ提げて西部邁が論壇に出てきた頃の言説の方がまだ面白味があったように思う。

 その点、辛淑玉の《マイノリティーから見た戦後日本の欠落》は、皮肉にも中島のいう保守主義の方法論——人間の限定性こそを重視し、「誰かの息子ないし娘」や特定の土地の住民、職業団体の一員として生きる具体的個人の存在から、物事を考える——を中島以上に体現しているといえる。
 ただし、後段の山口との対談は、現野党に対する認識にしてもかつての村山政権の評価にしてもほとんど対話が噛み合わない。そのギャップにこそ政治を語り変えていくことの困難と希望が浮かびあがるというべきか。

 香山リカの《磁場に揺れる日本》は、モンスター・ペアレントなどの利己的な自己主張を行なう人びとと逆にあらゆる責任を自分一人で背負いこんで自殺に追い込まれる人びとに言及しながら、そうした両極に振れた社会の調整に政治の役割を期待する。
 彼女の言説はどちらかといえば、「政治を語る言葉」の例示というよりも「政治を語れる個人」をいかに形成していくのかという問題に触れたものといえるだろう。

 佐藤優の《思想で抗する新自由主義》は、外交官としての経験に基づいて対米関係や北朝鮮問題などについて具体的な提起を行なっているほか、ナショナリズムの問題を沖縄や北海道の視座から再検討しているところなど、山口の姿勢と共振する部分が多いのではないかと思う。
 山口との対談では、保守主義を社会民主主義などへの対抗思想にすぎないとみなして一蹴し、ひと昔前の市民主義などとの類似性を指摘しているのが面白い。

 全体を読み通しての印象としては、いささかごった煮風で、ややまとまりに欠ける風にも感じられなくはないが、逆にそこにこそ本書の狙いを読み取るべきなのだろう。「相互啓蒙こそ本来の知の在り方」という山口の認識が色濃くにじみ出た本であることは間違いない。
by syunpo | 2009-04-18 18:49 | 政治 | Comments(0)
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