●宮本雅史著『歪んだ正義 特捜検察の語られざる真相』/角川学芸出版/2007年5月発行(文庫版)
検察が「重大悪質な事案」と言えば、その意向に沿ってニュース原稿が出来上がってしまうマスメディアの馬鹿正直ぶりは今も昔も変わりはないが、それでもごく少数の気鋭のジャーナリストたちは検察の行動を批判的に吟味するような仕事を行なっている。 本書もその一つ。産経新聞で長らく検察を担当してきた記者の手になるレポートで、未だに検察=正義の味方と思っている人々には一読を薦めたい本である。 宮本は、自白偏重による恣意的で強引な取り調べや修正の利かない捜査のあり方など、検察が今日抱える問題点の元凶を三つの事件に見出して検証する。三つの事件とは「東京佐川急便事件」「ロッキード事件」「造船疑獄事件」である。宮本は現代から時代を逆に遡っていくという叙述スタイルをとりながら、検察の「歪んだ正義」がいかに形成されてきたかをあぶり出していく。 なかでも興味深いのは、法相の指揮権発動により捜査が頓挫したとされる造船疑獄事件をめぐる記述だろう。この事件は政財官を巻き込んだ大型の汚職事件として世間の耳目を集めた。東京地検特捜部は自由党幹事長だった佐藤栄作(後の首相)を収賄容疑で逮捕寸前まで迫ったものの、当時の犬養健法務大臣が指揮権を発動して逮捕を阻止した、という経緯は今でもよく言及される。 法相は辞任、やがて吉田内閣も退陣に追い込まれる。すなわち一般的には時の政権が検察の捜査に不当介入して潰した事案として解釈され、これ以降「指揮権発動」は政治の世界にとってタブー視される直接の原因となった事件でもある。 しかし宮本は残された政治家たちの日記や検察関係者らへの取材によって、指揮権発動が検察によって仕組まれたものではないか、という見立てを提示しているのだ。もともと事件そのものが無理筋で、捜査は暗礁に乗り上げ、当初の予定通り佐藤幹事長を逮捕・起訴しても公判維持すらおぼつかなかった、というのだ。検察みずから振り上げた拳を降ろすわけにもいかず、検察サイドが政府に働きかけて指揮権発動をしてもらった、という図式である。 実際、この事件では主だった七人の被告人は無罪になっているし、他も有罪判決を受けたものの多くが執行猶予付きであった。 宮本は自説を展開するにあたって確かな証言や物証を得たわけではなく、断定的な書き方を控えてはいる。またこれまでにかような見解を示したジャーナリストが一人もいなかったのかどうかよく知らないけれど、今日まで法相による指揮権発動が「政府の汚点」として捉えられ、事件以降はその行使はおろか議論までもが完全に封印されてきたことを考えれば、戦後の事件史に新たな光を当てたレポートの一つとして意義深いものであることは間違いないだろう。 本書(原書)刊行後に、元共同通信記者の渡邉文幸がこの線に沿って調査・取材を掘り下げ、その成果をまとめた『指揮権発動/造船疑獄と戦後検察の確立』では、当時の法務省幹部から指揮権発動は検察サイドから仕組んだ策略であった旨の証言を引き出しているし、一般紙でも「捜査は完全に行き詰まっていたので指揮権発動を聞いてホッとした」など、当時の捜査関係者の声が伝えられるようになった。 造船疑獄事件における指揮権発動については、このように「政府=加害者、検察=被害者」という従来からの通説は覆された、といっていい。 ただし本書には疑問点もなくはない。検察がメディアを利用して世論を煽っておいて被疑者を追いつめていく手法を著者は批判しているのだが、そうしたプロセスに著者自身も加担してきたはずで、その点に関する自己批判の気配があまり感じられないのにはいささか物足りなさをおぼえた。 無論、本書のような検察批判を刊行することが一つの自省の具現化ではあるだろう。大半の報道記者が今もなお検察の提灯持ちを演じていることを考えれば、著者の問題意識や気概は大いに評価されるべきと思う。 なお本書の原本は二〇〇三年一二月に同じ書名で情報センター出版局より刊行された。
by syunpo
| 2009-07-12 11:54
| 政治
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