●四方田犬彦著『音楽のアマチュア』/朝日新聞出版/2009年7月発行
次から次へと書物を乱発している四方田犬彦だが、全編音楽について記した本を初めて刊行した。面白い。四方田らしい知的好奇心が音楽という題材を得て自在に弾けている。何より彼のジャンルに拘らない柔軟な姿勢がリラックスした形で言説化されていて、音楽を聴く愉悦感にあふれているのが好ましい。バッハとアリランとジョン・ケージとボブ・ディランと河内音頭とザ・ピーナッツが同等同列に論じられた本がこれまでにあっただろうか。 モーツァルトを「疾走する悲しみの音楽」と評したのはスタンダールである。この言葉はたちまち伝染して世界的規模で先入観を人々に植えつけることになった。四方田は基本的にそのようなステレオタイプのもとに音楽を聴く態度を斥けようとする。四方田自身は「一向に彼の音楽に悲しみを感じたことがない」と言い、「モーツァルトが体現しているのは、跳ねまわる仔犬のように嬉々とした感情であり、その裏側に約束ごととして隠されている不吉な死の絶望ではあっても、けっして悲嘆といった感傷ではないように思われる」(p275)と述べている。 本書では、四方田が世界各地を歩いて享受してきた音楽体験をそのままに披瀝しながら、この世の音楽をより広い地平に連れ出して自由な感性のもとに受けとめようとする姿勢が濃厚にあらわれている。 個人の音楽遍歴に付き合わされてもたいていは退屈するものだが、本書の場合、音楽家と著者自身の間に交友があったり接点があったりする場合もあるので、その具体的挿話に触れるだけでも面白いし、またその叙述が彼らの音楽を体感するうえで示唆にみちたクリティカルな言説となりおおせている。 ジョン・ケージの七五歳の誕生日を祝う小さなコンサートでは、演奏家が退場した後にオルゴールだけがポツリポツリと音をたてていて、頃合いを見計らってケージ本人が登場したという話には、ケージの音楽観がにじみでているのではないか。 アヴィニョン演劇祭で出会ったクツィ・エルゲネをめぐる随想からは、彼の音楽だけでなく、トルコの音楽というものに対する関心を大いに呼び覚まされた。 また、鉄砲光三郎との遭遇の一場面をスケッチした文章など、彼の人となりが瞬間的にでも立ちがってくるような生き生きとした筆致が印象深い。 四方田のバッハ好きには少々意外な感じがしたが、バッハを「ある表象ジャンルにあって独自の統合性を体現しているにもかかわらず、その歴史の文脈にすんなりと収まりきらないといった作家」として捉え、そうした意味でセルバンテスやオーソン・ウェルズを引き合いに出す視野の広さは四方田の面目躍如たるものがある。 あるいは、バルトークの弦楽四重奏曲第四番とアルバート・アイラーとの関係を類推した一文も、一つの音楽ジャンルにのみ囲まれた凡百の批評家の発想の及ぶところではないだろう。 未知の音楽への誘いはもちろんのこと、かつて何気なく聴いていたアーティストや、挑戦はしてみたものの歯が立たず、長らくCDを棚に眠らせていた「現代音楽」などなど、少なからぬ音楽に関して、本書のおかげであらためて聴き直してみようかと意欲を喚起させられた次第である。
by syunpo
| 2009-08-14 19:45
| 音楽
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