●加藤紘一、姜尚中著『創造するリベラル』/新泉社/2008年11月発行
二〇〇〇年、当時の森喜朗内閣打倒を目指した「加藤の乱」が腰砕けに終わって以降、加藤紘一の実質的な政治力は失われたものとばかり思っていたのが、与党の大物が相次いで倒れた今回の総選挙で悠々と当選を果たし、野に下ることになった自民党の次期総裁候補の一人として名前が取り沙汰されるほどまでに復活(?)を遂げたのだから、世の中本当にわからない。 本書は、二〇〇七年一二月に聖学院大学で行なわれた加藤紘一と政治学者の姜尚中の講演・対論・聴衆との質疑応答、二〇〇八年六・七月に行なわれたインタビューをまとめたものである。 加藤が最近掲げている看板は「強いリベラル」。「リベラル」という政治用語は使う者によって意味内容が異なり混乱を招きやすい言葉だが、加藤の「リベラル」とは「マーケット・メカニズム原理主義からの自由、そして人間というものを尊重しようという立場」をいう。それに「強い」という形容詞を付け加えたのは、地域社会のコミュニティの中にしっかりと根付いたリベラリズムを志向する、という意味合いをこめている。 加藤の提示する地域社会のコミュニティは、地方分権の成った政治単位としての地域というよりも、社会学者や政治学者のいう「中間団体」「中間勢力」的なニュアンスの強い、緩やかな人間関係のネットワークを形成しているような市民社会的な共同体をさすものと考えられる。 そのようなビジョンはさして目新しいものではないけれど、「美しい国」だの「とてつもない国」だのと空疎なキャッチコピーを振り回しただけの昨今の自民党リーダーの浅薄な言説に比べれば、そのアピール度は別にして地に足のついた理念ではあると思う。 加藤のそうした地方からのリベラリズムという構想を受けて、姜は東北アジアにおける日本の外交的役割を強調し、加藤のいう「地方」の再創造が「アジア」へと拓かれる道筋を示そうとした、というのが本書の(好意的に読解した場合の)大まかな構図といえるだろう。 もっとも「リベラル」というキャッチフレーズは、鳩山由紀夫・民主党代表がかねてから提唱してきた「リベラル・友愛革命」と奇しくも重なり合う。そのこともあって自民党内では「リベラルでは民主党との違いが出せない」と懐疑的な声もあがっているらしい。たしかに加藤の政見の内容じたいも民主党と共振する部分が少なくないように見受けられる。その意味では、加藤個人の政治生命はともかく自民党が再生していくための政治構想として「強いリベラル」が有効かどうかは議論の別れるところかもしれない。 なお本書は、聖学院大学政治経済学部が二〇〇八年にスタートした「シリーズ 時代を考える」の第一弾として刊行されたものである。
by syunpo
| 2009-08-31 19:07
| 政治
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