●山口二郎著『政権交代論』/岩波書店/2009年3月発行
政権交代の必要性を力説してきた政治学者が、その実現を目前に控えた時期にあらためて政権交代について論じた本である。政治学の立場からする政権交代の理念的な意義づけ、米国や英国の政権交代の実情、政権交代がなかった日本政治の分析などがコンパクトにまとめられている。 山口は政権交代の必要性を「政治権力の暴走を防ぐという自由主義」と「国民による政治選択を実質化するという民主主義」の観点から説く。 もともと議院内閣制においては、与党が結束を保ち政権を運営するならば、議会による行政府に対するチェック活動は機能しにくくなり、政府の暴走を止めることは容易でない。英国でこの制度がしばしば「選ばれた独裁」といわれる所以である。 しかも日本では自民党が短い一時期をのぞき一貫して権力の座にあったことで、権力の融合と集中が一層強化された。本来中立的であるべき行政府の官僚たちが特定の政党に奉仕する私兵になってしまった。そうした「選ばれた独裁」に歯止めをかけるためにも政権交代は必要なのである。これが自由主義の観点からみた政権交代論だ。 さらに、人間の不完全性が政権交代を必要とする、という考え方が呼び出される。善意で始めた政策が予期せざる結果をもたらし、新たな問題を作り出すことを完全に避けることはできない。状況に応じてふさわしい政策とリーダーを選び出すことは国民の政治選択にとって必須となる。政治の世界における人間の試行錯誤を具体化するものとして政権交代は不可欠のメカニズムというのである。 人間の理性の限界を強調するのは「保守思想」の神髄であった。だからこそ彼らは人間の手で下手に社会を変えようとするよりも「歴史」や「伝統」を重んじよ、と訴えてきた。 山口は同じく人間の「不完全性」を認識しながら、だからこそ試行錯誤としての政権交代が必要なのだ、と主張するのである。 後半部では、政権交代を可能ならしめる民主政治の型として「一元的民主主義」(契約モデル)と「多元的民主主義」(協調モデル)の二つをあげている。前者は「政党あるいは首相候補者が国民に政権公約を示し、国民がそれを選挙で選択して、為政者に負託を与える」もので、英国のウェストミンスターモデルがこれに相当する。後者は「多様な政党が様々な民意を代表し、それらの政党同士の交渉や妥協によって政治を運営」するものである。オランダやスイスの政治がこれに当たる。 従来の日本政治は後者に近かったが、一元的民主主義をモデルとして政治改革を重ねてきたことは周知の事実である。注目されるのは、山口は多元的民主主義の樹立についてもその可能性を否定しないことだ。その場合には比例代表制度を中心に据えるような選挙制度の改革が必須になるが、二大政党による政権交代という図式に収斂しそうな日本政治の現況をみながら、ここでわざわざ多元的民主主義のモデルについても言及するのは、現状の解説に終わりたくないという政治学者としての矜持を示したものと理解すべきなのだろう。
by syunpo
| 2009-09-04 19:22
| 政治
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