●夏目漱石著『それから』/新潮社/1985年9月発行(文庫改版版)
標題の「それから」にはいくつもの意味がこめられていることは作者当人が解説している。前作《三四郎》では大学生を描いたが本作ではそれから先のことを書いたから「それから」である、というのが一つの所以だ。 もっともここでの主人公・代助は三四郎ほど初心でも無知でもなく、病的なほどに自意識が肥大化していて、世の中に対し斜に構えた人物として描かれている。実情は三十才にもなりながら定職に就かず親のスネをかじって毎日遊び暮らしているプータローにすぎないのだけれど、当人は「高等遊民」を気取っている。これまでの漱石作品の主人公のなかでは最も魅力に乏しい人間の一人ではないかと思う。 父も兄も「日露戦争後の商工業膨張」の時代を背景に胡散臭い立ち回りをしながら蓄財したに違いないと代助は思っている。何より「食うために働く」ことに欺瞞を見出している代助であるが、しかしそういう彼自身が「食うために働く」肉親たちの金銭的支援を受けて暮らしているのだから、最初から代助の言動は矛盾しているといわねばならない。 この小説の主題は姦通である。 かつて友人の平岡に周旋した三千代と再会した代助は、この女性を愛していたことに今さらながらに気付き、初めて熱誠的に行動しようとする。一方で実家からはある縁談を持ちかけられている。そこで代助の煩悶がピークに達する。もちろん彼の煩悶など多くの一般読者には共感しがたい、吹けば飛ぶような贅沢なものといえる。この小説を漱石の最高傑作の一つに数える論者は多いけれど、私にはこの作品の読みに今でも難渋するところがある。 柄谷行人は巻末の解説で述べている。 ……おそらく、この新興ブルジョア社会に対して、『吾輩は猫である』のように諷刺的であったり、『野分』のように怒号したりするかわりに、漱石は“姦通”を正面から選んだといってもよい。もともと“姦通”は、そのような反ブルジョア的な動機をはらんだ主題なのである。(p298) なるほど。西洋の“姦通小説”に関する素養が漱石にはあったし、その主題の特権的性格も理解していた、という柄谷の文学史的な指摘には毎度のことながら勉強させられる。 かくして人妻を奪取した代助はブルジョア階級たる実家から放逐され「職業」をもとめて日盛りの街中へと飛び出していくよりほかなかった。 ところで、一九八五年に森田芳光がこれを映画化してずいぶんと高い評価を得たのだが、いささか奇を衒ったようなキャスティングに私はあまり楽しめなかった。松田優作には代助の神経症的な雰囲気があまり出ているように感じられなかったし、父親を演じた笠智衆は昔風のキャラはそれなりとしても、若い愛人を囲っているスケベ親爺、息子の政略結婚を企む打算の人という脂ぎった感じはもう一つ伝わってこなかったなぁ。
by syunpo
| 2010-01-23 17:16
| 文学(夏目漱石)
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