●夏目漱石著『門』/新潮社/2002年11月発行(文庫改版版)
『門』は、いわば『それから』のそれからを描いた作品と位置づけられ、『三四郎』とあわせて三部作として一般に論じられている。ただ前二作に比較すると物語の起伏に乏しく、とりわけ前半はなんとも辛気臭い。 親友の安井から同居女性の御米を略奪して結婚した宗助は、身をこごめるようにして二人でひっそりと暮らしている。「電車の終点から歩くと二十分近くも掛かる山の手の奥」の「廂に逼る様な勾配の崖」の下に建つ薄暗い借家に住み、毎日定刻に役所に勤めにでるという慎ましい公務員生活を送る日々。 宗助の実弟・小六の処遇をめぐって、さらには父の遺産処理を一任した問題で、親戚の佐伯家と交渉すべき懸案を抱えているが、これをてきぱきと解決しようとする熱意も行動力もみえず、御米もまた何事かに熱中している風もなく、二人の時間はただ単調に過ぎて行く。 この小説の基調を成す主題はいうまでもなく三角関係である。『それから』にみられた三角関係の葛藤が本作では事が成った後の問題として、より深刻に内省的に深められていることはたしかだが、それについてはすでに多くの読解が提起されてきた。 ここでは、崖の上にある家主の坂井家との関係について考えてみたいと思う。 坂井家は宗助の家と崖の上下、ほぼ隣接する位置関係にあるのだが、訪問するときには「通りを半町ばかり来て、坂を上って、又半町程逆に戻らなければ」ならず、完全なお隣さんというわけでもない。近くて遠い、いわば宗助夫妻と社会との微妙な距離感が、そこには暗喩されているようにも読める。 坂井家は子供の多い賑やかな一家であり、坂井は好事家であり、物質的にも精神的にも余裕のある暮らしをしている。あらゆる意味で宗助の家とは好対照をなす。 当初はさほどの付き合いはなかったものの、坂井家に泥棒が入ったのを切っ掛けに宗助と坂井の親密な交際が始まる。しばらくして宗助が手放した抱一の屏風が坂井の手に渡っていることが判明する。さらには坂井の実弟の友人として安井が坂井家に招かれていることを知り、宗助はたちまち不安と恐怖に嘖まれるようになる。 崖の上に住む坂井家は、偶然にも宗助と関係のあった人やモノのネットワークの結節点ともなっているわけで、それは社会そのものが孕みもつ偶然性を含めた関係性に満ちた機縁的な場を表象するものともいえる。心ならずもそうした世間と繋がった「門」を横目に見るようにしながら、宗助と御米は生きていかねばならない。 冒頭、縁側で秋日和の日を宗助は味わっている。終結部においても同様に、縁側に出て春の麗らかな日を感じている場面に回帰する。秋から春へ。季節は経巡るが、それは直線的な移ろいではなくあくまで循環的なものである。すなわちこの夫婦の刺戟を欠いた円環的な生活もまた(微妙なズレを孕みながら)なお続いていくことが予想されるような形で、小説は終わる。 一見単調な構えのこの小説には、それ故に人間という存在に不可避の不安や危機が描出されているようにも感じられ、その意味からも興趣は尽きない。
by syunpo
| 2010-01-31 22:26
| 文学(夏目漱石)
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