●広井良典著『コミュニティを問いなおす ——つながり・都市・日本社会の未来』/筑摩書房/2009年8月発行
これからの日本社会のあり方を考える時、「コミュニティ」が一つのキーワードとなる。本書はそうした認識に基づき「コミュニティ」について公共政策論の見地のみならず文明史的なスケールで考察した本である。論旨としては多くの政治家や研究者が論じているように、公共圏=コミュニティの再構築の必要性を説くもので、地域共同体の再活性化やNPOと自治体との連携、人生前半期における社会保障の充実などを主張している。 全体は三部にわかれ、政策提言的な〈視座〉と〈社会システム〉、哲学的・世界史的な観点から叙述される〈原理〉から成る。 前半の二つのセクションでは、福祉政策と都市政策の融合を提唱している点に著者らしい見識はうかがえるが、全般的には地域振興を担当するお役人のレポートといった趣のいかにも研究者の優等生的文章という気がした。論旨にとくに異論はないものの、かといって目から鱗が落ちるような知的スリルをかき立てられるような論考でもない。 後半の〈原理〉では、文明史論的な広大な視野からコミュニティのあり方を再考しようとするものであるが、これも今一つ精彩を欠いている。日本の伝統的な農村共同体に閉鎖的な行動原理を見出すなどステレオタイプの歴史観が前提されているかと思えば、ロバート・ベラーや村上泰亮らの怪しげな仮説史観を導入するなど、かなり粗雑な議論ではなかろうか。 全体を通じて疑問に思ったことは、今後打ち立てられるべき「普遍的な価値原理」として「地球上の各地域の風土的・環境的多様性こそが立脚点になる」などとグローバルな視点を力説していながら、現代を「生産・消費の飛躍的な拡大とその飽和・成熟化」している時代だとの認識を平然と繰り返している点だ。いうまでもないことだが、消費が飽和しているのは一部の先進国だけにみられる現象であって、地球上の大半の人々は今なお飢餓と不便に苦しんでいる。地球規模での普遍的原理を構築しようというならば、「消費の飽和」ではなく「消費の偏在」こそが問題にされなければならないはずである。 もっとも本書の核を成しているのは、基本的に日本社会のコミュニティのあり方を展望するという課題であり、その点では一つのビジョンを示していることは確かである。ただ、そこに中途半端な形で大風呂敷を広げたためにかえって焦点がぼやけてしまったという印象が拭えない。学界の専門分化に抗おうとする著者の志にはエールをおくりたい気もするけれど、本書の出来映えにはあまり感心できなかった。論壇での評判が良く、朝日新聞社が主催する大佛次郎論壇賞まで受賞した本だが、私にとっては期待はずれの一冊。
by syunpo
| 2010-02-18 17:37
| 政治
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