●福井健策著『著作権の世紀』/集英社/2010年1月発行
情報通信技術の進展は情報のより自由で広汎な流通を加速させたが、同時に情報の独占権すなわち「著作権」と衝突する場面を増加させることにもなった。また、人々の権利意識の高まりが厳密には法的根拠のない「疑似著作権」の領域を押し広げ、情報の囲い込みを強化する動きも目立つようになった。その一方で、著作権を前提しつつ著作物の公共的な利用をより簡便に行なえるようにする制度の模索も活発化している。 コンテンツ産業の世界的規模での再編が進む時代にあって、著作物の独占と共有のバランスはどうあるべきか。本書は著作権問題の第一人者として活躍している弁護士による概説書である。 作品を広く流通させることと著作権とをいかに共存させればよいのか。その難題に対応するために、昨今、世界的に「著作権リフォーム論」が叫ばれるようになった。それにはいくつかのバリエーションがある。 著作権者を特定することに多大のコストがかかっている現状を改善するのに効果的といえる「作品登録制」、著作権の最大の機能は創作者側の収入確保にあるという現実問題に立脚して、権利者の使用許可権を解消するかわりに必ず一定の報酬を得ることのできる仕組みを構築する「報酬請求権化」などが提起されている。しかし、いずれもクリアすべき問題は多い。 そこで現実的なリフォーム策として議論されているのが「フェアユース」である。 現行の著作権法では「私的複製」など著作権者の許可がなくても作品を利用できる個別の例外規定はあるものの、利用目的ごとに厳格な条件が決められている。個別規定のない領域では、許可を得ない限り作品はほぼ利用できない。「フェアユース」は、こうした個別規定のないものでも、諸般の事情から許されてもいいような「フェア(公正)」な利用は権利者の許可なくおこなえるという一般規定である。英米の著作権法にある考え方で、日本にもフェアユース的な救済規定があれば各種の文化活動や研究活動にとっては有益だとして、以前から検討されてきた。 著者の姿勢は、あくまでも現在の著作権をめぐる問題を簡潔にまとめることに主眼をおいていて、著作権者・利用者双方の立場に配慮した、バランスのとれたものである。とはいえ、いたずらな権利規定の厳格さが文化の創造や普及に萎縮や不便をもたらす、というユーザーサイドに立った懸念も率直に表明されている。NHKアーカイブスが豊富な映像資料を抱えていながら、権利処理の煩雑さ故に一般公開が可能な番組ソフトは一%にとどまるという実態を知ると、著作権がかえって文化振興のカセになっているのではないかと思ってしまう。 もちろん、他人が多大な労力を費やして生み育てたキャラクターやデザイン、作品などを勝手に使用して利益を得るような商行為は批判されるのは当然としても、一方で「著作権ビジネス」という言葉がしばしば聞かれるように、大手コンテンツ企業の金儲けの口実に「著作権」が利用されているケースもあるのではないかという疑念を抱いているのは、私だけではないだろう。その意味では、クリエーターの創作意欲を維持しつつ、より公正で柔軟な著作物の流通のあり方を模索する著者の基本姿勢には共感できる。 また、著作権に関連した裁判における「創作性」や「機能性」をめぐる議論は、芸術論・表象論のレベルでも再考を促す契機を孕んだもので、その意味では本書が扱っている問題は思いのほか奥深いものではないかと思う。
by syunpo
| 2010-06-22 20:12
| 文化全般
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