●高橋源一郎著『「悪」と戦う』/河出書房新社/2010年5月発行
「悪」と戦う。といっても、そこは高橋源一郎。ウルトラマンが他の惑星から侵攻してくる宇宙怪獣と戦ったり、水戸黄門が悪徳商人を退治するような、明快な勧善懲悪の物語が綴られているわけではもちろんない。ここでは、戦いに駆り出された三歳のランちゃんは本当に戦っているのか、そもそも「悪」とされている者たちが本当に「悪」なのかすらもあやふやだ。 冒頭に子どもの言葉の習得をめぐる挿話がおかれている。長男のランちゃんはもっぱら文学作品から引用することで言葉を操り、次男のキイちゃんは言葉が遅れていて、「だっ」とか「ったったった」というようなパパには認識不能の擬声語を発するのみ。言葉と格闘するパパ(=小説家らしい)と息子たちの挿話が提示される導入部は何やら暗示的で、純言語的なモチーフへの期待感をも充分に抱かせてくれるのだが……。 世界が壊れかけ、世界の中身が流出し始め、この世のあらゆるものが隙間に落ちていく。世界は今までも壊れかけていたが、みんながちょっとずつ補修してきた。けれどもどうやら小手先の補修では間に合わなくなったらしい。 世界を救うために、ランちゃんは「悪」と戦うはめになる。けれどもどうやって戦うのか、「悪」がどこにいるのかもわからない。みんな自分で見つけなければいけない。「悪」の手先とされるミアちゃんがいろいろ姿を変えて出現する。ランちゃんが「悪」と戦っていく様はさながら地獄巡りのようで、次から次へと試練が襲いかかってくるのだった。 並行世界を描いた作品ということでは東浩紀の力作『クォンタム・ファミリーズ』が想起されるが、こちらはもう少しお手軽で童話風。高橋のエコロジー的な問題意識のうかがわれる描写が随所にみられるほか、イジメや家庭崩壊といった今日的な社会問題も取り込まれている。 子どもの頃に誰もが感じるであろう、宇宙の広大さや悠久の時間の連鎖に対する眩暈のような感覚、あるいはもっと端的に死後の世界への恐怖感にも通じる漠たる不安感のようなものが巧く描出されているような気もするが、ありきたりなオチのつけ方にはいささか拍子抜けした。 ツイッターを操る今時の作家の、いかにも今風の首都圏の若者言葉が駆使された小説で、私の嗜好には今一つフィットしなかったけれど、面白いと思う人にはたいそう面白い小説かもしれない。
by syunpo
| 2010-07-07 19:01
| 文学(小説・批評)
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