●山口二郎著『ポピュリズムへの反撃』/角川書店/2010年10月発行
「ポピュリズム」とは一九世紀の米国で農民を支持基盤とした政党(ポピュリスト・パーティ=人民党)による重農主義的な政治運動を意味する言葉であったことは、政治学の入門書や事典には必ず書かれている。ただし今日ではこの言葉は原義を離れてしまい、論者によって異なった意味内容を込められ、時には明確な定義を与えられず漠然と使われていたりする。ゆえに「ポピュリズム」という言葉を使って政治を語る時には、明快な再定義をほどこしたうえでなければ、いたずらに議論を空転させるだけでたいした成果は得られないだろう。 本書はその「ポピュリズム」をキーワードに現代日本の政治を考察した本である。 手垢にまみれた言葉に新鮮なコンセプトを盛り込んで政治の新たな可能性を提示してくれるのか。それとも混乱のうえに混乱を重ねるようなつまらない結果をもたらすのか──。 山口はポピュリズムについて英国の政治学者バーナード・クリックの定義を掲げることで叙述を開始している。 ポピュリズムとは、多数派を決起させること。あるいは、少なくともポピュリズムの指導者が多数派だと強く信じる集団(中略)を決起させることを目的とする、ある種の政治とレトリックのスタイルのことである。(p14) いきなりここでズッコケた。ポピュリズムを定義するのにポピュリズムという言葉を用いる同語反復に陥っているのだから定義になっていない。議論の根幹部分がこのような杜撰なものなので、本書において「ポピュリズム」なる言葉は結局いかようにも拡大解釈され濫用されているような印象である。 山口によれば社民党もみんなの党もポピュリズム的政党ということになるらしい。さらに小泉純一郎に代表される今のポピュリスト的リーダーについて「本来利害を共有する人々の中に分断線を引き、人々のエネルギーの分散させます。そういうポピュリズムなのです」と述べるに及んでは、およそクリックの定義ならざる定義の対極にまで意味内容が拡散してしまっている。ポピュリズムの内実が変容したというよりも、山口が恣意的にこの語句を使っているだけではないかと感じた。 ありていにいってしまえば、著者の賛同できない政治リーダーを批判するのに「ポピュリスト」のレッテルをはり、随時彼らに適した定義や解釈をあてはめているにすぎないのではないだろうか。 もっとも山口はポピュリズムを全面的に否定しているわけでもなく、「ポピュリズムにはポピュリズムで反撃を」と嗾けてもいる。そうなると実質的なことは何も言っていないに等しい。 手垢にまみれた言葉に新鮮なコンセプトを盛り込んで政治の新たな可能性を提示してくれるのか。それとも混乱のうえに混乱を重ねるようなつまらない結果をもたらすのか──。 ……最初に示した問いかけに対して、今ここで私の読後感を記すならば、答えは明らかに後者ということになる。 山口二郎の識見には私はこれまで多くのことを教えられてきた。小泉・竹中の新自由主義路線を未だに主張してやまないエコノミストや自民党政権からお金を頂戴して長期腐敗政権の太鼓持ちを演じてきたエセ言論人などに比べれば、はるかに信頼できるし共感できる点は多い。 本書においても、高福祉高負担のスウェーデンと税負担の軽い米国とを比較して、可処分所得の割合をみればほぼ同じという指摘など、キラリと光る叙述にも少なからず触れることができた。 しかし全般的には上に記したような議論の粗雑さや混乱が目立ち、山口の最近の著作のなかでは残念ながら最悪の出来映えといわざるをえない。
by syunpo
| 2010-10-16 09:52
| 政治
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