ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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世界は分けないことにはわからない、しかし〜『世界は分けてもわからない』

●福岡伸一著『世界は分けてもわからない』/講談社/2009年7月発行

b0072887_18254320.jpg 「わかる」とは「分かる」であり、それは当然「分ける」とつながっている。博物学や動植物学の初期段階では、それぞれの種類を分類する、つまり「分ける」ことに情熱が傾けられた。動物や植物をカテゴリー化し、それぞれの差異を見分けること。それが「分かる」ことの第一歩であった。無論、今でも様々な局面で「分かる」ために「分ける」ことが日々実践されている。

 福岡伸一は本書の末尾で結論的に述べている。
 「世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである」。
 そしてそのすぐ後でこう付け加えることも怠らない。「分けてもわからないと知りつつ、今日もなお私は世界を分けようとしている。それは世界を認識することの契機がその往還にしかないからである」と。
 本書は、みずからがよって立つ足場にたえざる懐疑の目を向けながら仕事を続ける分子生物学者のエッセイである。

 ロスアンジェルスにあるゲティ美術館に展示されている一枚の絵。ヴィットーレ・カルパッチョ作《ラグーンのハンティング》。遠浅の海で貴族たちが舟遊びをしている様子を描いた絵だ。そしてヴェネツィアのコッレール美術館に飾られている同じくカルパッチョの《コルティジャーネ》。二人の女性がテラスのような処で所在なげに座っている、いささか頽廃的な感じのする作品である。この二つの作品はもともと一枚の絵だった。いや正確には一枚の絵だったものが四分割されてしまったものの二片だということが最近の調査で明らかになった。つまり《ラグーンのハンティング》も《コルティジャーネ》も「全体から切り取られたほんの部分にすぎなかった」のだ。

 顕微鏡で生物組織を観察すると、細胞が整然と並んでいる様子を見ることができる。倍率を上げると細胞の一粒が、一気に近づいて見える。しかしその瞬間、観察者は元の視野のどの一粒が拡大されたのかを見失う。拡大された映像はなるほど解像度を一段と高められたものだが、それと引き換えにこれまで見えていた部分が見えなくなる。

 カルパッチョの絵画にまつわるエピソードを語り終えた後に、福岡は、自然科学の観察に不可避の「分ける」という営みに思いをめぐらせて「今見ている視野の一歩外の世界は、視野内部の世界と均一に連続している保証はどこにもないのである」と結ぶ。
 このように要約してしまうと、福岡の文章にただよう微妙なニュアンスが失われてしまうようでいささか気が引けるのだが、とにもかくにも本書における福岡の自在なイマジネーションの飛翔ぶり、それらを一つの命題に緩やかに集約せんとする構成力には、素直に納得させられるものがあった。

 コンビニで販売しているサンドイッチから説き起こされる腐敗と腸内細菌の話。渡辺剛の写真集から展開されていく臓器移植、さらには動的平衡論。コンピュータ・グラフィック技術と〈脳の中の古い水路〉との関わり。……どれもこれも読み応え充分だ。

 さらに後半では、エフレイム・ラッカーと若き学究マーク・スペクターのエネルギー代謝に関する研究データ捏造事件について多くの紙幅が費やされている。その記述内容じたいがたいへん興味深いものだが、福岡はその最後に、やはり「切り取られた絵と、それにまつわるさまざまな物語に思いを馳せる」のだ。ラッカーという指導教授の仮説を実験で実証してみようとしたスペクターは「ラッカーが見たいと願った絵を切り取っただけなのだ」と述べ、同業者として、彼らに強い憤りを示す代わりに捏造事件から自戒の契機を引き出そうとするのである。

 そうした後半部の複数の章を除けば、個々の文章は原則的に一話完結的で様々な題材やトピックスを扱っている。が、全体を通して世界を分けることに対する福岡の一貫した知的懐疑が通奏低音のように響いているので、バラバラのエッセイを無理やり一冊にまとめたというような印象はまったく受けなかった。

 倒置法を多用した達者な文章は、かなり専門的な話題に踏み込んでも決して読者を弛れさせることはない。本書は、多方面に伸びていく福岡の知的好奇心が巧い具合に織り合わされた面白い本であると思う。
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by syunpo | 2010-11-18 18:32 | 生物学 | Trackback | Comments(0)
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