ブックラバー宣言


コラムニスト・吉本俊二の書評ブログです。
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自然、社会、精神〜『三つのエコロジー』

●フェリックス・ガタリ著『三つのエコロジー』(杉村昌昭訳)/平凡社/2008年9月発行

b0072887_1854995.jpg 一九九二年に他界したフェリックス・ガタリは晩年、エコロジー思想に強い関心を示した。といってもそれは環境保全など今日メディアを賑わしている狭義のエコロジー問題としてではなく、人種差別や宗教的ファナティズム、子供の労働の搾取、女性の抑圧といった人間社会を包み込む環境全体に関わる課題としてのエコロジーである。

 ガタリのいう「三つのエコロジー」とは、環境のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジーを指す。この三つの作用領域の倫理−政治的な節合だけがこれからのエコロジーに相応の照明をあてることができるという。
 すなわち環境の問題を環境の問題としてのみ解決しようとするのは不可能である、それに加えて社会のさまざまな関係の改変や人間の精神のあり方を変えていくこと──これらを連関的に考えてこそ初めてエコロジーの問題は解決の方向へと向かうことができる。ガタリはこうした節合をエコゾフィー(エコロジーとフィロソフィーの合成語)と名づけ、その重要性を説いたのである。

 無論、ガタリのことであるからエコゾフィーの構想は必ずしもわかりやすいものではない。その内実は、哲学、社会学、政治、経済、文化、精神分析、記号論、言語学など多様な領域を往還する横断的なものだ。その骨格をここに具体的且つ手短に要約することは私には困難である。
 そのなかで特筆しておくべきことは、今日の資本制経済に対するラディカルな批判に向かうのは、エコゾフィーにとっては必然であるということだ。環境破壊というものはおしなべて「利潤だけにかたよってしまったこの生産のための生産というイデオロギー」(p116)に拠るものだから。したがって「世界市場のもたらす災いに対して受動的に異議申し立てをするよりも、むしろ、これまでの資本主義的な同質化傾向のかたよりをただすような、異質の価値のシステムがそれ自身の力で新しい力関係の中で確立される必要がある」(p119)だろう。

 以上のような視点は現在の日本では柄谷行人が踏襲し力説しているところである。また、エコゾフィーの「詩的機能」を重視するような発想は一見無関係にみえる廣瀬純の映画論の中にもエコーを響かせているように思われる。

 本書にはガタリの〈三つのエコロジー〉の論考に加えて、大阪と沖縄で行なわれた講演録も収められている。杉村昌昭の〈訳者あとがき〉はガタリの生硬で難解なキーワードを解きほぐして有益。さらに末尾にはマサオ・ミヨシの解説が添えられている。なお原本初版は一九九一年に大村書店から刊行された。
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by syunpo | 2010-12-25 19:07 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)
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