●佐々木中著『夜戦と永遠──フーコー・ラカン・ルジャンドル』/以文社/2008年10月発行
ジャック・ラカンの想像界と象徴界。難解をもって鳴るその概念の「二つの解れ目」を特定し、そして彼が「大他者の享楽=女性の享楽」を示して倒れたのを見たのちに、その「二つの解れ目」を引き受け、それを広大な「歴史的賭場」へと解き放ったピエール・ルジャンドルの洞察をたどる。その作業によってひとまず結論的な地点に到ることはできるのだが、そこに安住することはなく、ルジャンドルを批判しているミシェル・フーコーの思索の森へ、ラカンールジャンドルの企てを再検討する途へと踏み出す。緻密な読解の果てに、ルジャンドルを批判していたはずのフーコーの執拗な権力論を手袋を裏返すようにして裏返してみせることができ、そこに、ラカンールジャンドルの理路とフーコーとが不意に手をとりあう瞬間が訪れる。それはブランショにならって〈永遠の夜戦〉と名付けうる地平でもあった。──本書の内容を手短に要約すれば、以上のようになる。 ラカン思想の難解な理路。佐々木は、その難解さ自体がひとつの機能を持つのだという。ラカンは「あるダイアグラム、可視性と言表可能性の体制を前提としたまま、可視性と言表可能性の分離や接合の様態を論じようとした」がゆえに、それは「ゆくりなく浸透し、混成的なものにならざるをえない」。 本書にみる佐々木のラカン読解もやはり理解しやすいものとはいいがたい。だが、ドグマ人類学を提唱しているルジャンドルを横にもってくることによって、いささかなりともラカンの思考の見通しがよくなるようには感じられた。 そのルジャンドルに対してフーコーは批判的な姿勢をしばしば示した。たとえばルジャンドルが評価したローマ法の復活について「絶対主義権力を構成するための技術的道具になった」とネガティブな面を強調している。 しかし、フーコーの思索を丹念に読み込んでいくならば、ルジャンドルと通底するような共通認識を見出すことができる。そのくだりは本書のハイライトといってもいいだろう。 フーコーは今ではおなじみとなっている規律権力や生権力の叙述を経て、ネオリベラリズムが推進するマネージメント原理主義の統治性を完膚なきまでに分析し尽くしてみせた。その末に、「装置」や「ダイアグラム」という概念を(生煮えの状態とはいえ)遺した。それもまた必ずしも理解しやすいものではないが、佐々木によれば、それははしなくもルジャンドルが提起した、「モンタージュ」を賭けた歴史的賭場において出現する「第三者」と相通じるものではないか、ということになる。佐々木はそのようなダイアグラムや装置こそがマネージメント原理主義に対抗しうる戦いを有効ならしめると力説するのだ。 本書で言及している「中世解釈者革命」を地道に推進した解釈者たちに倣うかのように、佐々木がラカン、ルジャンドル、フーコーのテクストを解釈していくその足取りは確かなものだが、拙速を避けて迂回することも厭わない。同時にその筆致の切っ先は鋭利に研がれてもいる。「大きな物語」は終わった、歴史は終焉したといっては、あらゆるものの終わりを触れて回る論客、逆に自分たちの生きる現代をことさらに新たな時代だと見做す特権的な認識に縋る論者たちへの批判は辛辣であり、容赦ない。その一方で、晩年、その長大なる思考の射程ゆえに支離滅裂になったフーコーの「真理への勇気」に対して敬意を表することも忘れない。 ……と、何とか本書の内容をまとめてはみたものの、私自身どこまで理解できたのか正直なところ心許ない。ただ著者のただならぬ熱気には、ものごとを理解すること以外の大切な何ものかを孕んでいるようにも感じられた。註解を含めて六百ページ以上にもわたる長いその道程の終幕で、読むことにも書くことにも「終わり」はないのだというきっぱりとした著者の宣言に触れるとき、読者はある種の感銘を受けないわけにはいかないだろう。 「わからない。もうわからない」「違和は拭えない。拭い切れない」などのリフレインや列叙法を駆使した独特の文体は、まさしく「永遠の夜戦」を訴えるにふさわしい劇的な雰囲気をつくりだしている。佐々木は歌いながら戦いへと誘う。いや、歌うことが戦うことなのだと語りかける。ここには佐々木中の「文学」があるように思う。 この後に刊行された『切りとれ、あの祈る手を』は、本書で展開された内容を噛み砕いたような平易な口調で「文学」の可能性にスポットをあてて論じたものだった。いきなり大部の本書を手にとるには重荷に感ずる向きもあるだろう。その意味では『切りとれ……』から入る方が順当ともいえるかもしれない。
by syunpo
| 2011-01-31 19:45
| 思想・哲学
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