●福岡伸一著『ルリボシカミキリの青』/文藝春秋/2010年4月発行
当代売れっ子の生物学者・福岡伸一が週刊文春に連載したコラムを一冊にまとめた本。総合週刊誌の読者といえば今やオジサン層がコアだと思うのだが、ここでは若者向けの媒体でリラックスして語りかけるような文体が採られている。もっぱら使われる一人称は「私」や「筆者」ではなく「福岡ハカセ」。 ここまでくだけてしまうと文人・福岡の魅力がかえって削がれてしまうような気がしないでもないが、そこは福岡ハカセ。自説のキーワードである「動的平衡」や「できそこないの男」について様々なアングルから接近していく筆致にはやはり巧みを感じさせる。 風邪のウイルスから動的平衡を説き起こしたかとおもえば、文楽人形の様式的な動きにも動的平衡の美を見出す。政治問題化した臓器移植に対して動的平衡の観点から懸念を表明し、ハチミツの大量死や狂牛病に動的平衡への人間の介入の傲慢さをみる。 生物学的に「少しだけ足りない」存在としての男性を語る姿勢もまたしかり。Y染色体の発見物語を簡潔に紹介したあとに、男の子に顕著にみられる「蒐集癖」に関して「蒐集行動は、不足や欠乏に対する男の潜在的な恐怖の裏返しとして生まれ」たのではないかと面白おかしく推察したりするのだ。 センス・オブ・ワンダーこそがハカセの原点、というのも本書を貫く福岡ハカセの基本認識である。末尾におかれたルリボシカミキリの青について語った一文での締めの言葉がキマっている。 ある年の夏の終わり、楢の倒木の横を通り過ぎたとき、目の隅に何かがとまった。音を立てないようゆっくりと向きをかえた。朽ちかけた木の襞に、ルリボシカミキリがすっとのっていた。嘘だと思えた。しかしその青は息がとまるほど美しかった。……こんな青さがなぜこの世界に存在しているのだろう。 福岡ハカセがハカセになったあと、ずっと続けてきたことも基本的には同じ問いかけなのだと思う。こんな鮮やかさがなぜこの世界に必要なのか。いや、おそらく私がすべきなのは、問いに答えることではなく、それを言祝ぐことなのかもしれない。(p234)
by syunpo
| 2011-02-02 18:38
| 生物学
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