真理が女である!?〜『善悪の彼岸』

●フリードリヒ・ニーチェ著『善悪の彼岸』(中山元訳)/光文社/2009年4月発行

b0072887_1859477.jpg ニーチェは『ツァラトゥストラ』において神なき世界のありうべき姿をまるで歌うかのように書いた。そして同時代には理解されなかった。『善悪の彼岸』は『ツァラトゥストラ』の手応えのなさにがっかりしたニーチェが「もっと素の言葉で読者の分かりやすいように語り直す必要」を感じて書いた本だという。
 アフォリズムの形式を採っているのでなるほど一般読者にとっては読みやすくなっているが、そのぶん詩的な芳香は薄められてしまった。

 ……おお、ツァラトゥストラ、君は自分で思っている以上に敬虔だ。そういう無信仰をもっているのだから! なにかの神が君のなかに住んでいて、無神論者に改宗したんだ。
 君は敬虔だからこそ、神を信じなくなっているのか? そして、あまりにも正直だから、善悪の彼岸にまで運ばれるのだろう!(『ツァラトゥストラ下巻』p247、丘沢静也訳)


 かくしてニーチェ自身もまた「善悪の彼岸」に下り立つ。『ツァラトゥストラ』の軽やかな躍動感を削ぎ落として。
 ここではキリスト教の古い教えに則した道徳やストア哲学はもちろんのこと、宗教的な事柄に無関心になった近代の「学者」たちに対しても皮肉な視線を投げかけている。彼らは「尊大で、矮小な賎民にすぎない」と。具体的には、カントの道徳哲学がしばしばやり玉にあげられ、プラトン、ヘーゲル、シェリング、ショーペンハウアーらも批判の対象とされる。

 女性一般に対する攻撃はより露骨なものとなり(ヒステリックでさえある)、ユダヤ人への揶揄めいた発言があるかと思えば、イギリス人に対する毒づき方も尋常ではない。強引な一般化によるニーチェのそのような粗雑な偏見が表出されているくだりはさすがに今となっては読むに耐えない。

 もっとも本書は一見自由奔放に記されたようではあるけれど、かなりの計算をもって組み立てられたものらしい。岩波文庫版の訳者・木場深定によれば「ニーチェの散文の作品のうちで、これほど入念に彫琢され、慎重に構成されたものは他に類がない」という。
 むろん私にはそれらを逐一吟味して検討するほどの能力も関心もない。
 私が本書を読んでまず感じるのは、ニーチェの「個人」に対する強い想念だ。ニーチェの考え方に全体主義的な傾向を読み取る論者は今でも少なくないようだが、本書にはむしろ全体主義とは対極を成す個人の強いあり方を希求するような志向が濃厚に読み取れる。

 危険で不気味なときが訪れた、このときに直面した「個人」は、みずからを定めることが求められる。自己を維持し、自らを高め、自らを救済するために、独自の技巧と狡知を働かせることが求められるのである。(p425)

 この前段では、他者からの承認と自己肯定の関連をめぐる興味深い考察もみられる。他者の評価や承認を必要としないような、ただあるがままに自己を肯定しうるような自己の強固なあり方。ニーチェはそれを高貴とみる。
 ここであえて通俗的な読み方をするならば、あらゆる責任を一身に引き受けてしまい対人関係に支障を来しているような現代の一部の人々にとっては、ニーチェの力強い自己肯定の哲学は大いなる「福音」になりうるものではないだろうか。

 とはいうものの、ニーチェがフランス革命以降のヨーロッパにおける「民主主義」的な志向を嫌悪していたことも確かである。

 ……万人に適用される道徳を要求することは、より高き人に対する侵害であること、要するに、人間のあいだには位階の秩序というものが存在するのであり、したがって道徳にも位階の秩序というものが存在すること……(p321)

 いたるところで人々は、科学的な仮装のもとにおいてすら、来たるべき社会から「搾取する性格」をなくすことに熱狂しているのである。──それはわたしには、あらゆる有機的な機能を営むことのない生をみいだせると約束しているかのように聞こえる。(p410)


 ニーチェは「賎民」が求める平等化・平準化に抗って、むしろ高貴な人間のあり方をめぐって考察を深めようとした。ニーチェのいう高貴は多義的であり意外と難解な概念であるように思われるのだが、それはあるいは他の著作で言及されている「超人」とも相通ずるものかもしれない。

 もちろん万人が高貴であったり超人になれるわけでもなかろうから、ニーチェの哲学は一歩間違えば他の凡庸な英雄待望論やエリート主義と近しいものにも受け取られかねない曖昧さをはらんでいる。あるいは、そのあたりがナチスに悪用された所以かもしれない。

 中山元の訳文は例によって意味の掴みがたい箇所では括弧付きで言葉を補足しており、他の訳本に比べると格段に読みやすくなっていることは間違いない。ただし本書ではそのスタイルがいささか親切に過ぎてうるさく感じられるところもある。
 何はともあれ、本書はニーチェの反社会的ともいいうる言説と人間の生をめぐる鋭い洞察とが渾然一体となった不思議な書物である。
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by syunpo | 2011-05-11 19:26 | 思想・哲学 | Trackback | Comments(0)
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