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世界文学周遊の旅〜『書物の灰燼に抗して』

●四方田犬彦著『書物の灰燼に抗して 比較文学論集』/工作舎/2011年4月発行

世界文学周遊の旅〜『書物の灰燼に抗して』_b0072887_1922445.jpg 四方田犬彦がこれまで発表した比較文学論・比較芸術論的なエッセイに書き下ろしを加えて八つの章にまとめた本書は、大学院で比較文学を専攻した著者ならではの知的冒険心にあふれた面白い本である。それにしてもまとまった比較文学論集を刊行するのは初めてというのは意外だ。

 アンドレイ・タルコフスキーのフィルム《ノスタルジア》を足がかりに「ノスタルジア」なる概念の来歴を辿りながら、同時にそれが文学や映画などでどのように表象され考察されてきたかを論じた〈帰郷の苦悶〉。
 ユートピア的なるものを罵倒し続けながらも黄金時代へのノスタルジアを驚くべき率直さをもって述懐したドストエフスキー。世界文学の記憶の全体をノスタルジックな対象と見なし自在に想起と引用をおこなった詩人のエズラ・パウンド。「故郷を葬る歌」と題した詩のなかで自分を育んだ故郷に呵責ない嘲罵を重ねた一方で、オリュウノオバという土地の精霊なる老婆を語り手にして故郷の路地に哀惜の情を向けることを忘れなかった中上健次。……「ノスタルジア」をキーワードに、古今東西の文学者たちが次から次へと俎上にのせられていく論考はまさしく「比較文学論集」の冒頭を飾るにふさわしい内容だろう。

 みずから意識的に〈死の領分〉に身を置きつつ創造的な作業を続ける芸術家の素描を試みたエッセイもスリリングである。
 タデウシュ・カントルは、死者を好んで生者の舞台に乗せ、猥雑な饒舌とオブジェの氾濫を通して、われわれが自明のうちに生きている空間が本来的に死の空間であることを告知した。アンディ・ウォーホルとピーター・グリナウェイは、もはや量的与件と化した死が徹底して表層の存在であることを指摘しつつ、死を契機としての栄光の終末という観念にグロテスクな相対化を施そうとした。アンセルム・キーファは、長らく死の観念によって根拠づけられてきた神話意識に果敢に挑戦することで、歴史の悪夢からの解放を目指した。
 芸術・文学と死という永遠のテーマと格闘した創作家をこうして並べてみせることで、われわれの時代にふさわしい形而上学的ラディカリズムの具現化したすがたがいっそう鮮やかに浮かびあがってくるのである。

 〈変容する琵琶法師〉では、ラフカディオ・ハーンの《怪談》の巻頭に掲げられた「耳なし芳一」の物語とそれを翻案したアントナン・アルトーの仕事を取り上げ、彼が残酷演劇への創始へと至った過程をめぐって推論的な考察が加えられる。アルトーの演劇にドゥルーズ=ガタリが提唱した「器官なき肉体」という理念の具体化を見いだす分析はなるほど興味深い。

 ピエル・パオロ・パソリーニをエズラ・パウンドとともに読み解く〈パゾリーニ、封印を解く〉。美学的前衛性と政治的反動性とが手を取りあって極端にまで進んだ二人の創作家を真摯にみつめる四方田の柔軟なまなざしには共感できる点も多い。
 つづいて〈怒りと響き〉では、映画とエクリチュールとの間を自在に往還した作家たち──パゾリーニに加えて、マルグリット・デュラス、センベーヌ・ウスマン──が論じられる。比較文学の徒であると同時に映画批評家でもある四方田の本領が発揮されたエッセイだ。ちなみに著者のパゾリーニへの関心は長きにわたっていて、その訳業がこのほど《パゾリーニ詩集》としてひとまず形になったのは悦ばしい。

 〈泉と同じ数だけの聖者〉は卓抜なル・クレジオ論。モロッコに魅惑されてきたフランス語圏文学者の三つの系譜──官能の陶酔者・文明からの逃走者・無償の放浪者──を概観したうえで、ル・クレジオを三番目の系列に位置づけて論じたものだ。

 ホメロスの改訂と言及の新たな成果を二人の詩人において見る〈黒いホメロス、ホメロスの不在〉。デレック・ウォルコットとマフムード・ダルウィーシュという必ずしも著名とはいえない二人の詩業が四方田独自の読解によっていっそう輝きを増す。

 末尾におかれた〈書物の灰燼に抗して〉は、エッセーの可能性とその困難が同時に示されたエッセイのためのエッセイ。それはとりもなおさず「書く」という行為それじたいに向けられた深い自省の記録でもある。

 短く書くということ、夥しい断章をもってテクストを構成することが、ここでもう一度唱えられることになるだろう。それは厳密にいうならば書くことの組織化ではなく、組織化の拒否であり、テクストの創造ではなく、その表面に走る無数の亀裂、無数の引掻き傷を浮かび上がらせることである。そしてこの微妙な仕種はつねにクリシェの誘惑によって脅かされる宿命のもとにあり、際限のない追い掛けっこがそこでは演じられることだろう。(p333)

 サブタイトルには「比較文学論集」の文字がみえるが、ここで言及されているのは以上みてきたように文学のみならず映画や演劇、美術作品など多岐にわたる。ジャンルや党派性に縛られない四方田犬彦の自在な思考と想像力の軌跡が刻まれた好著といえよう。
by syunpo | 2011-05-19 19:16 | 文化全般 | Comments(0)
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