●C.ダグラス・ラミス著『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』/平凡社/2004年9月発行
書名は陳腐だが、内容は必ずしも陳腐ではない。鋭い指摘も含まれていて思いのほか勉強させられた。 著者は〈経済発展〉という言葉の歴史的変遷を問題にしている。そこから〈経済発展〉とはすぐれて政治的色彩の強いイデオロギーだという命題を無理なく導き出す。〈経済発展〉イデオロギー成立の端緒となったのは、ラミスによれば米国のトルーマン大統領の就任演説である。それは「未開発」の国々に対して技術的、経済的援助を行ない、投資をして「発展」させることを政策とすることを言明したものであった。これを境に政治・経済の局面における「発展」という語句の意味内容は大きく変わったのだという。 トルーマンが言ったのは、自国の発展ではなく他の国、具体的にいえば「未開発」の国を発展させる、ということである。それはどういうことなのか。 それは端的にいえば「自給自足の生活にある程度満足していた人たちを労働者と消費者にすること」(p127)である。大国の貨幣経済の圏域に組み込むことによって、新たな搾取の構造を形成する。かつてのような露骨な形での植民地支配とは異なり、搾取の構造は見えにくくなった。形のうえでは「強制労働」は消滅したようにみえる。それがすなわち「経済発展」の実態である。 経済発展は、南北問題を解決するのではなく、原因の一つなのです。もちろん貧富の差というのはそれ以前からあった。経済発展があって初めて貧富の差ができたということではありません。けれどもそれより、もともとあった貧富の差を、経済発展が合理化した、ということです。合理化というのは、利益がとれるようなかたちに作り直した、という意味です。(p115〜116) それと並行してアカデミズムのなかでも、米国は南の国から若い有能な学生たちを集め、博士まで育てあげ、経済成長イデオロギーを吹き込んで国へ帰すことを実践した。それぞれの国の「経済発展エリート」を育成することもまた国策として推進されたのである。そうすることによって「経済発展イデオロギー」は力のあるイデオロギーとなっていった。それがイデオロギーであることを忘却させるほどに。 経済発展とは「スラムの世界」を「高層ビルの世界」へと少しずつ変身させる過程だというのは錯覚であって、ごまかしです。経済発展の過程によって、昔あったさまざまな社会が「高層ビルとスラムの世界」になってきたのが、二十世紀の歴史的事実なのです。(P113) 「パイが大きくなれば、ピースも大きくなる」という命題は虚偽でしかない。誰もが貨幣を持てばインフレーションが生じるだけである。そこでこれまでの発展経済とは異なった考え方が必要となる。 経済発展イデオロギーに対抗するための考え方として、著者は暫定的との留保をつけながらも文字どおり「対抗発展」なる概念を提唱する。それは、今までの発展の意味、つまり経済成長を否定するものである。対抗発展とは、端的にいえば人間社会のなかから経済という要素を少しずつ減らしていく過程のことをいう。それぞれの個人が経済活動(生産、消費の両方を指す)に使っている時間を減らすこと。値段のついたものを減らすこと。替わって市場以外の楽しみを発展させること。 確かに過剰成長の時代には、快楽を感じるような技術や機械、エンターテインメントといったものがとても進んでいるのですが、逆にそういう機械や技術に頼らずに快楽を感じる能力、楽しくする能力が、社会として、あるいは一人ひとりの個人も鈍くなっているように思う。だからこの「対抗発展」は禁欲主義ではなく、本当の意味の快楽主義であるとあえて言いたい。(p150) 本書の主張は著者自身が断わっているようにとくに目新しいものではないだろう。民主主義や平和の問題についても多くの紙幅を費やしているが、率直にいって紋切型を繰り返しているだけの部分もなくはない。しかしながら、これからの社会のあり方を考えるうえで大いに吟味すべき問題提起をいくつも含んでいるように思われる。
by syunpo
| 2011-06-01 19:49
| 政治
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Comments(4)
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at 2011-06-12 23:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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syunpo at 2011-06-13 19:19
非公開コメントのゲストさん、
こちらこそ御無沙汰しております。 お勧めの本は、このブログですでに取り上げました。 2009年12月29日付け記事です。 そのほか『ガンジーの危険な平和憲法案』も面白かったですね。(2010.3.25付記事) 何はともあれ、コメントありがとうございました。
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at 2011-06-13 22:21
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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syunpo at 2011-06-14 20:19
非公開コメントのゲストさん、
『影の学問、窓の学問』はネットで検索したところ、新品の入手は残念ながら無理のようです。古書店で探してみます。 余談ですが、近頃の書物は少し油断しているとすぐに「入手困難」になってしまいますね。 古典的名著といわれるものでも、品切れや絶版になっていることが珍しくない。 出版社が偉そうなことを言っても、現実には「資本主義」「市場原理」を見事に体現している市場です。 そういう意味では、一度ファイル化してしまえば容易に売買可能な状態を維持できる電子書籍には期待する思いもあります。
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