●福田歓一著『近代の政治思想』/岩波書店/1970年1月発行
人間が初めて政治という不可解なもののカラクリを自覚化することができ、それによって人間の自覚的な営みとして政治生活を築くようになったのは、ヨーロッパの近代であった。ヨーロッパの近代思想を学ぶこと、すなわち政治のメカニズムを歴史的に把握しようとすることは「人間が社会に単に組み込まれているのではなしに、自覚的に社会を変えようとする」可能性を拓くことにつながる。 本書はそのような認識に立って近代の政治思想の形成に大きな貢献のあった思想家、主にホッブズ、ロック、ルソーの三人の思想とその理論的前提を概説したものである。三者の政治思想を読み解く前段として、中世の政治思想の骨格についてもあとづけられる。その一連の作業によって現代の政治理論やその基盤となる世界観・人間観がどのようにして形成されてきたのかを大きな見取図のなかで認識することができるだろう。 政治哲学の根幹に触れる主題を扱っているがゆえに語られている内容は深いが、講演の速記をベースにしているので語り口は極めて平易である。 今日、自明視されている人民主権という考え方を理論化したのはルソーであった。そもそも「主権」という概念は絶対王政の時代につくられたものである。当然ながら主権はかつて君主がもっていた。ホッブズはそこで権力制限の考えを打ち出したが、ルソーはそれを斥け、人民主権を主張したのである。君主の命令が他の人間によって行なわれる君主主権に対して、統治するのも統治されるのも同じ人民だという人民主権は、考えてみれば不思議な原理である。 ルソーは主張する。人民主権を保障するために、意志決定にはすべての国民が参加しなければならない。故に彼は代議制に反対した。またその意志決定は人民全員を拘束するものでなければならない。そうすれば、自分にも平等な負担がかかるので無茶な決定はできないだろうと考えた。 さらに注目すべきは、庶民は一人一人では愚かで利己心に惑わされる存在かもしれないが、彼らが集まって真剣に討論するならば、そこから新しい公共の利益が見出される、とルソーが考えたことである。このようにして得られた人民の意志をルソーは「一般意志」と呼び、すべての人民に強制されるべきだとした。いわば「自由であるように強制する」ことがルソーの考える政治社会の基本的なあり方だったのである。 もちろん今となってはそうした構想に対して異論をさしはさむことは容易だろう。そこで福田はその正否を問題にするよりも、むしろ「ルソーがそういう表現で何を言おうとしたか」を考えるべきだと言う。 利己心のかたまりのような人間も、社会の主人として政治に参加することによって、理性にまで高められる。本当に人間にふさわしい尊厳を自分のものにすることができる、と期待して、人間はそのときはじめて本当に自由になる、と考えたのであります。したがって、政治に参加することは、人間が自由になるための根本的条件であって、単に権力を制限するための手段ではなくなります。(p158) ルソー=福田のこのような構想の骨格は、今日の政治理論とりわけ熟議民主主義理論に継承され、精緻化されているように思われる。恥ずかしながら私はルソーの良き読者ではなかったので、この点についてはとても興味深く読んだ。 もっとも今日においては、以上のような近代思想が前提とした現実の条件に大きな変化がみられることはいうまでもない。たとえばロックもルソーも核兵器のない時代に生きた思想家である。現代には「近代思想の処理能力を超えた問題」が山積している。 それでもなお「現代の最も現代的なもののなかに、実は近代思想の見出した最も原理的なものは、いきいきと生きつづけている」。あるいは「現代の最も現代的な課題が、ほかならぬ近代思想の原理的意味の確認を迫っている」。本書はまさしくその「確認」の一助となりうるものだろう。 ちなみに本書のベースとなった連続講演は一九六〇年代後半に行なわれた。冷戦下、政治を動かしているのは力であって思想ではないという認識が大勢を占めていた時期、且つ、国内的にも東大紛争の混乱の最中という時節にあって、かくも沈着な思索を披瀝していた著者には賛嘆の念をおぼえずにはいられない。
by syunpo
| 2011-06-18 09:38
| 政治
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