●四方田犬彦編著『アジアの文化は越境する』/弦書房/2011年11月発行
福岡ユネスコ協会が二〇一〇年一一月に開催したシンポジウム「越境するアジアの現代文化─現状と可能性─」を基に再構成した本である。 冒頭に掲げられた四方田犬彦の「東アジアに怪奇映画は咲き誇る」が圧倒的におもしろい。東アジアでは、幽霊だけでなく妖怪やお化けが登場する怪奇映画が昔からたくさん作られてきた。欧米にも幽霊(ゴースト)が出てくる映画はあるが、お化けを題材とした作品はほとんどない。これは映画産業が勃興する以前の文化、具体的には大衆演劇などが深く関係している。お化けが登場する話がたくさん伝えられてきているエリアでは、それがそのまま映画の世界にも受け継がれたのだ。 ただしアジアでも怪奇映画が存在しない国がある。それはイスラム諸国とマルクス主義国家である。四方田は中央集権的なマルクス主義国家を含めた一神教的な国家においてはお化けのような存在が公式的には許されないと分析する。「一神教であって文化の多様性を認めない国の中では怪奇映画はできない」というわけだ。 そこで四方田はそうした文脈からアジアの再定義を試みる。 われわれ人間がこれからどうやって生きていくべきか。自分の国の人間ではない人間、言葉がわからない人間、食べ物の違う人間と、これから仲良くしていくわけですね。そのときにお化けというものを描くということ、アニメでも漫画でも映画でも、それは非常に大きな示唆を、私たちにアドバイスを与えてくれているのではないか。そういう叡智に私は「アジア的」という名前をつけたいと思っております。(p47) これはいかにもアジア各国の文化を横断的に知悉する四方田ならではのスリリングな仮説ではなかろうか。 ただし、そのあとに発言したパネラーたちはあらかじめ自分が用意してきたことがらを発表するのに手一杯で、討論に移っても四方田の秀逸な問題提起がそのまま放置されてしまったのは残念。唯一メアリー・ウォンが「中国には怪奇映画はない」と四方田が断言した点をとらえて例外を指摘したのみで、議論の核心には誰も触れずに終わった。 四方田以外の論者の発言はおしなべて冴えない。タイのプラープダー・ユンは、サイードのオリエンタリズム批判を当事者の側から裏返した発言を繰り返すばかりで新味はまったくないし、他の論者もそれぞれの国の文化状況の報告といった域を出るものではなく、私にはいささか退屈だった。
by syunpo
| 2011-10-29 09:20
| 文化全般
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