人気ブログランキング | 話題のタグを見る

知力解放としての〜『蜂起とともに愛がはじまる』

●廣瀬純著『蜂起とともに愛がはじまる 思想/政治のための32章』/河出書房新社/2012年1月発行

知力解放としての〜『蜂起とともに愛がはじまる』_b0072887_21353459.jpg 思想と映画を同時に論じながら、それを通じて来るべき運動に呼びかける。『シネキャピタル』でユニークな視点から映画論を展開した著者ならではの縦横無尽な筆致は本書においていっそう冴え渡っているように感じられる。

 ヒッチコックの《鳥》と赤瀬川原平の《宇宙の缶詰》とヴィルノを同列に並べながら〈革命/反革命〉を論じる。労働するのと同時に詩を書くように、できる限り多くの「持続」を生きることを描いた作品として小津やデ・ホーホに言及する。かと思えば、ドゥルーズ=ガタリの《アンチ・オイディプス》をマクラに振って「脱コード化」をキーワードに山中貞夫を語る。

 そのような廣瀬の自在な批評精神の底流を貫いているのは「すべての人がすべてについて語る」ことを唱えたジャック・ランシエールの民主主義理論である。彼にとって、平等が全面的に実践され実証されることになるのは、すべての人がすべてについて語るとき、すなわち、一人ひとりの個人が文字通り「すべての」事柄について自分の考えを表明するときだけである。
 無資格の資格で個々人が意思表明することによって諸資格の固定的な役割配分を撹乱させ転覆させること。ランシエール=廣瀬はそこに「政治」の可能性を見出す。

 しかし廣瀬はそれだけにとどまらない。ランシエールの主張からさらに一歩すすめて「思考し得ぬものを思考すること」を訴え、そのことによって「知力の解放」「知力の蜂起」を目論もうとするのだ。
 廣瀬の主張はところどころ言葉不足で私にはいささか難解な個所もあったけれど、それを差し引いても知的刺戟に充ちた批評集といえるだろう。
by syunpo | 2012-03-06 21:39 | 思想・哲学 | Comments(1)
Commented at 2014-10-01 22:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 一時的なスローガンとしないため... 還元主義的文明論を超えて〜『ア... >>