●大澤真幸著『〈世界史〉の哲学 中世篇』/講談社/2011年9月発行
近代を問いなおすことは西洋を問いなおすことでもある。多くの地域では西洋文化に由来する制度や知の導入というかたちで近代化が図られたからだ。特殊性と普遍性との間の短絡を最も純粋かつ大規模に体現したものとして著者は「資本主義」を挙げるのだが、それは西洋の両義性を先鋭化した問題として立ち現れる。 その前段階として『〈世界史〉の哲学 古代篇』ではキリストの生と死をめぐる検討に紙幅が費やされた。本書では死んだイエスの身体が西洋中世を動かしていく機制を思想史的かつ社会学的に分析していく。 死体を中心に繁栄する都市。まさに殺されても死なない死体が創った「中世」という時代。そのなかでヨーロッパのカトリック圏では聖権と俗権の顕著な二元性が発現した。それは何故なのか。 大澤は「聖権と俗権の拮抗的な二元性は、西洋中世が、父なる神と子なるキリストとを対等な契機として維持したことにその究極の原因を見るべきであろう」(p243)との認識を示し、その二元性を現実化している政治秩序こそが封建制であると結論づける。ゆえに厳密な意味での封建制はヨーロッパ中世のみに特徴的なものである。 さらに近代資本主義の萌芽をこの中世の時代に探り出そうとする。それはもっぱら「利子」をめぐる考察として展開される。 キリスト教に伏在しているポテンシャルが十全に発揮されるようになったとき、むしろ、利子は正当な報酬と見なされるようになったのである。これは、ラディカルなキリスト教徒(プロテスタント)の生活態度が資本主義の精神の原点になったという、あの機制の、先触れである。(p282) 中世という社会の謎はひとつの死なない死体の内に集約されている。大澤の壮大な見立てに従えば、この死体を目指していた巡礼の旅がその具体的な目標を解消し、外部へと一般的に開かれたとき、いわゆる「大航海」が始まり、資本主義の本格的な展開期に入った、ということになる。 本書にみる考察の大きな特徴は、キリスト教が最初から孕みもっていたパラドックスの種を可視化させることにあるといっていいだろう。中世に栄えた「宮廷愛」や「否定神学」にしても禁止や否定を通じて逆説的に神の実定的=肯定的な存在を確保する方法であったのだという。 フーコーやラカン、ドゥルーズらに依拠して繰り広げられる大澤の考察は、例によっていささかアクロバティックでパッチワーク的な印象も否めないのだが、その自由闊達な思索にはやはり面白味を充分に感じとることができた。
by syunpo
| 2012-04-24 21:39
| 思想・哲学
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