歪められた自助の精神〜『「自己啓発病」社会』

●宮崎学著『「自己啓発病」社会』/祥伝社/2012年2月発行

b0072887_1851152.jpg 自己啓発ブームだという。個人のスキルアップを奨励し、ポジティブシンキングを評価する。自身を啓発していくことで人は社会的成功をおさめ、勝ち組に参入できるというわけだ。これに類する社会的風潮は八〇年代にもみられたが、それはもっぱら「自己開発」と呼ばれた。宮崎はそれぞれの社会的背景を探りながら両者の間には異なった性質を見出している。

 一九八〇年代の「自己開発」ブームは、社会の自信にあふれた全能感にあおられたものだったが、二〇〇〇年代の「自己啓発」ブームは、社会の不安な無力感から逃れるためにすがったものだったのではないか、という見立てだ。
 前者はバブル時代のイデオロギーであり、後者は小泉政権が推進した「自己責任」を旨とする新自由主義的政策に明らかに対応するものである。これからいっそう厳しくなる競争社会を勝ち抜くためには、個々人が資格を取得するなり手に職をつけるなどして自助努力によって生きていかねばならないというのが「自己啓発」の説くところだ。

 ところで「自己啓発」を促すにあたってはスマイルズの『自助論』を持ち出す論者が少なくない。『自助論』では文字どおり「自助」が説かれている、これこそまさに競争社会を勝ち抜いていくための基本精神だというのが一般的な認識である。

 しかし、宮崎はそうした『自助論』の読解に疑義を差し挟む。スマイルズの主張が歪められて受容されているというのだ。そもそも今日参照されることの多い『自助論』は抄訳である。
 なるほどスマイルズは自助を説いたが、労働運動や組合活動をも支持した。彼にとって自助とは相互扶助と不即不離のものであった。だが今日の新訳ではそうした部分が骨抜きにされている。政治家や経営者が「自己責任」を強調したいときに都合のよい著作として自助論が召喚されているわけである。

 宮崎は東日本大震災後の日本社会に自助が相互扶助と両立しうる実践例があるという。そこでスマイルズの読み直しが平行して進められる。宮崎によれば「東日本大震災における『自助力』とは、『ご近所力』、地域共同体ないしコミュニティの相互扶助力にほかならない」(p144)のだが、それはスマイルズの考えとも共振しあうものである。

 近代的自助論の典型であるスマイルズ『自助論』には、近代的自助を超え出るものが含まれているのである。(p209)

 ただし最終的には宮崎はスマイルズの自助論にも限界を見ている。スマイルズの自助精神とは「キリスト教プロテスタンティズムとイングランド自由主義を柱としたものであった」。その意味で時代の制約を受けていることもまた否定しがたい。
 宮崎は「自助が他助になり、他助が自助になる関係が成り立つ局面」を構想する。「相互的自助」とでもいうべきものである。それはスマイルズの自助論をも超克するものであるだろう。

 以上のような「自己啓発」ブームに対する宮崎の批判的な態度は、フーコーやルジャンドル、佐々木中らの〈生−権力〉や〈マネジメント原理主義〉に対する対抗的言説、より大きな文脈での思想史的言説とも通じ合うものだと思われる。
 様々なバリエーションが存在する「自己啓発」を無駄な抵抗で病理的な現象だと見なす本書の断定口調には反発もありうるだろうが、本来なら社会学者が取り組んでもよさそうなテーマに果敢に斬り込んでいく筆致には宮崎の面目躍如たるものがある。
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by syunpo | 2012-05-02 20:35 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)
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