●佐藤俊樹著『桜が創った「日本」 ソメイヨシノ起源への旅』/岩波書店/2005年2月発行
今日、日本列島の春を彩る桜の七〜八割はソメイヨシノといわれる。あたり一面を同じ色に染め上げ、一斉に散っていく──という桜のイメージは、なべてこのソメイヨシノに拠るものである。もっともこの桜は江戸時代末期につくられた品種であり、万葉集や古今集の時代には存在しなかった。ソメイヨシノの歴史は旧いものではなく、桜を主役とする日本の春景色は近代の幕開けとともに塗り変えられたといえる。また日本を桜の花で象徴させるような発想もそれほど伝統的なものとはいえない。 桜には様々な種類がある。自生種ではヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガン、マメザクラ、カンヒザクラ……。さらに里桜と呼ばれる園芸品種が三百以上。この中からソメイヨシノが全国を席捲するに至った理由はいくつかある。他の桜に比べ接木の成功率が高く繁殖させやすい。値段も安く大量生産に向いている。公共空間を手っとり早く美しく飾るのにソメイヨシノは「絶好のアイテム」だったのだ。 ソメイヨシノ以前、多品種の桜が存在したところでは、一つの樹が散っても別の樹が咲き継いでいった。花盛りもだんだん移り変わるから桜林全体で見れば長い期間にわたって桜を楽しむことができた。ゆえに桜の「ぱっと咲いてぱっと散る」点に日本人の美学や趣味を重ね合わせるような言説は明治以降にあらわれたものである。 とはいえソメイヨシノの出現以前にソメイヨシノが実現したような桜の景色を何人もが歌っていたことも事実。それは実際に現地に赴いて桜を見ることなしに歌を詠むことが日常的に行なわれていたことによる。その意味ではソメイヨシノの出現は古来の文学的趣向に適ったものでもあった。 ソメイヨシノの普及とともに、ヤマザクラの旧さに「桜らしさ=日本らしさ」の最も純粋な姿を見出す言説もあらわれるようになった。ソメイヨシノの人為的なあり方を過剰に嫌うあまり、ヤマザクラの「自然」なあり方を評価するような見方である。 しかしながら、ヤマザクラは寒さや潮風には弱い。吉野や京都のような西日本の内陸部に適した桜には違いないが、東日本の海沿いに発展を遂げたエリアで(ソメイヨシノを含む)オオシマ系の桜が愛好されたのは同じくらい自然なことであると著者はいう。 気候のちがいを無視して、あらゆる土地にソメイヨシノを植えようとするのと、気候のちがいを無視して「日本の桜は本来ヤマザクラ」と断言するのは、どちらも同じくらい自然環境を見ていない。(p188) 本書のおもしろいところは、桜をめぐる言説の歴史的な流れを追いながら「自然/人工」という認識の図式そのものを相対化している点だ。「自然」とされた方からみれば「人工」もまた環境の一部である。その意味では「ソメイヨシノが人工交配か自然交配かという起源論争の大テーマも、あまり大きな意味はない」。植物からすれば、花粉を人が運ぼうが虫が運ぼうが本質的な違いはないからだ。 自然とは何か。伝統とは何か。桜の歴史的変遷をみるという切り口から、私たちは思いのほか広大な思索の場所へと連れ出されていることに気づかされる。おもしろい本である。
by syunpo
| 2012-05-07 22:15
| 社会学
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