●新雅史著『商店街はなぜ滅びるのか』/光文社/2012年5月発行
商店街がこの国にひろがったのはなぜか。そしてどのような過程で商店街が凋落したのか。本書は社会学的視点からそれを明らかにするものである。そのうえで商店街が構想された当時の理念に一定の再評価を加えながら、これからの地域社会の活性化のために商店街のあるべきすがたを提起する。 著者によれば商店街は伝統的なものではなく日本の近代化の産物だという。すなわち、二〇世紀初頭の都市化と流動化に対して、「よき地域」をつくりあげるための方策として、商店街は発明されたのである。具体的にいうとそれは百貨店、協同組合、公設市場の要素が取り入れられたハイブリッドな形態であった。 もっとも生活インフラとしての商店街が広がるきっかけは戦前に構築された総力戦体制である。その意味では本来の理念とは関係なく商店街は普及していった。 ともあれ戦後日本社会の政治的・経済的安定は、商店街の存在抜きには語れない。それは「雇用の安定」だけでなく「自営業の安定」にも支えられていたからだ。総中流社会は都市自営業者が安定していたからこそもたらされた。自営業の安定とはいうまでもなく商店街を基盤とするものであった。 その観点からすれば、既得権益の巣窟として否定的にみられがちな商店街や零細小売商という存在は充分に評価しうるものである。 では、そのような商店街が衰退したのは何故か。 著者によれば、零細小売商が抱えていた致命的な問題は事業の継承性であった。彼らは商店街を支え続けることよりも家族の都合を優先した。その選択の一つとして七〇年代から台頭してきたコンビニエンスストアへの転換が生じた。商店街とは専門店が一つの街区に並ぶことで百貨店に対抗する「横の百貨店」である。だが、コンビニというよろず屋が登場することによって、たばこ屋・酒屋・八百屋・米穀店などの古い専門店はその存在意義を奪われた。 零細小売商のコンビニ化という生き残り戦略が、商店街を内側から崩壊させたのである。 こうした過程で商店街は徒な圧力集団になっていったことにも著者は批判的に言及している。商店街という理念は小売商の中間層化という大きな目的があったはずなのに、結果的に商店街を維持してきた種々の規制が「あしき圧力政治の結果である」と見なされるようになり、八〇年代の相次ぐ規制緩和を促す大きな要因となった。 著者は以上のような商店街の興隆と衰退を検証したのち、商店街が本来有していた理念の再評価を試みる。そして商店街を中心とする「地域社会の自律性を規制を通じて取り戻したい」という。そこでの規制は「既得権者の延命につながらない」規制、あくまでも地域社会の自律につながるものとして構想されなければならない。 地域社会の消費空間は、けっして経済的合理性だけで判断されるべきではない。……東日本大震災でも、モノ不足を加速させたのは、あまりにも大規模化しすぎた消費システムであった。ショッピングモールなどの大規模消費システムや「楽天市場」のようなバーチャルな空間だけでは、地域社会の生活を支えることはできない。(p209〜210) 著者が構想する新たな商店街=地域社会のシステムとしては、地域の協同組合や社会的企業に営業権を与える仕組みや、地域社会が商店街の土地を管理する仕組みの構築などが挙げられる。デュルケムのいう「生存競争の平和的解決」にこそ商店街の存在理由を見出すのである。 新雅史にとってはこれが初めての単著らしいが、なかなかの力作であると思う。
by syunpo
| 2012-06-17 21:15
| 社会学
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