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人間であること、動物になること〜『暇と退屈の倫理学』

●國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』/朝日出版社/2011年10月発行

人間であること、動物になること〜『暇と退屈の倫理学』_b0072887_2110676.jpg 人類が目指してきたはずの豊かさが達成されると逆に人は不幸になってしまうという逆説を提起したのはバートランド・ラッセルである。人間が豊かさを喜べないのは何故なのか。人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる。ラッセルはそう考えたのだ。ここに退屈の問題が浮上してくる。そう、退屈は哲学的にみてもすぐれて深遠なテーマではないか。本書は暇と退屈を真正面から哲学的に論究した好著である。

 メインとなるのはマルティン・ハイデッガーの退屈論。その前段として退屈の起源を考察すべく人類学的な仮説をもとに有史以前についても言及する。さらに歴史上の暇と退屈を主に経済史的な観点から検討し、消費社会の問題を俎上に載せて現代の暇と退屈にもメスを入れる。そのうえでハイデッガーの批判的検討へと向かう──というのが本書のおおまかな構成である。
 参照されるのは、ハイデッガーのほかに、西田正規の「定住革命」論、ソースティン・ヴェヴレンの『有閑階級の理論』、ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』、ユクスキュルの「環世界」論……などなど多岐にわたる。パスカルやヘーゲル、マルクスらの仕事も当然視野に入ってくる。

 人類が遊動生活から定住生活へと生活様式を変えた時、それに伴い「定住革命」ともいうべき様々な変化がもたらされることになった。端的にいえば定住は人類をいかんともしがたい〈能力の過剰〉という条件のなかに放り込んだのである。人類はそれをもとに文化を発展させてきたが、それと同時に絶えざる退屈との戦いをも強いられたのだ。
 しかし退屈はほどなくして難題ではなくなる。有史以来の政治社会、身分制、権力の偏在、奴隷的労働などが、大多数の人間に恒常的な暇を与えることを許さなかったからである。そこでは暇は独占の対象であった。暇を独占する「有閑階級」が歴史の舞台にあらわれる。

 他の時代と比較にならないほど退屈が話題にされることになるのは近代である。資本主義が高度に発達し、人々は暇を得た。またそれは「余暇」という形で権利の対象にもなった。これはある意味で近代人がもとめてきた〈個人の自由と平等〉の達成でもあった。だが彼らは自分たちがもとめていたものが実際には何であるのかを分かっていなかった。人々は突然暇のなかに投げ込まれ、暇を生きる術をもっていなかったために右往左往することになったのである。

 ボードリヤールは浪費(必要を超えてモノを受け取ること)と消費(モノに付与された観念や意味を受け取ること)を区別することで、消費社会がもたらした「現代の疎外」について考えた。その疎外は暇なき退屈をもたらしている。暇なき退屈は消費と退屈との悪循環のなかにある。國分はボードリヤールを再評価しつつ、ただしこの疎外は本来性なき疎外という枠のなかで論じられねばならないと指摘する。

 以上のような退屈の系譜学や疎外論を経たのち、國分はハイデッガーの退屈論の分析に入る。ハイデッガーは退屈について三つの形式に分類した。「何かによって退屈させられること」(第一形式)、「何かに際して退屈すること」(第二形式)、「なんとなく退屈だと感じること」(第三形式)の三つである。そのうえでハイデッガーは、第三形式のなかで人間は自分の可能性が示されると考えた。その可能性とは「自由」のことである。ならば可能性としての自由をどう実現するのか。ハイデッガーの答えは驚くほど単純だ。決断することによって自由を発揮せよ。

 國分はハイデッガーの退屈の三分類に依拠しながらも最終的には彼の決断主義を斥ける。そして「贅沢(浪費)を取り戻すこと」「動物になること」を提唱して本書の結論としている。後者は「自らが生きる環世界に何かが『不法侵入』し、それが崩壊する時、その何かについての対応を迫られ、思考し始める」ような事態を指す。もっともこうした結論だけを取り上げて議論することには著者自身が言うようにたいして意味はない。暇や退屈についての新たな知見を獲得できるだけでも本書を読むことの意義があるというべきだろう。三・一一のあとにこのような悠長なタイトルを冠した哲学書を出した著者の蛮勇(?)に拍手をおくりたい。
by syunpo | 2012-07-18 21:16 | 思想・哲学 | Comments(0)
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