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書物と人間の未来形を考える〜『本は、これから』

●池澤夏樹編『本は、これから』/岩波書店/2010年11月発行

書物と人間の未来形を考える〜『本は、これから』_b0072887_172044.jpg 紙に印刷されたモノとしての書物からデジタルデータとしての電子書籍の時代へ──。出版界は今新たな局面を迎えようとしている。これは「本」をめぐって綴られたエッセイ集。デジタル書籍元年といわれた二〇一〇年の刊行である。三十七名の書き手が参集しているので内容的には玉石混淆、媒体に対する個人的嗜好と社会的な評価を整理しきれていない駄文が意外と多い。おもしろそうなところだけ拾い読みすれば充分というような本だろう。

 まず確認しておこう。人類が紙に印刷された書物に親しんできたのは、グーテンベルクの印刷術発明以降たかだか五百年、現代日本のように一般大衆が気軽に印刷製本された書物を手にとれるようになったのは、それよりもさらに時代がくだってからのことである。人類の歴史を俯瞰してみれば、現行の読書スタイルが定着したのはさほど昔のことではない。
 子供の頃からそのような読書体験のみを身体化してきた私たちの世代がそれに強い愛着をおぼえるのは当然だとしても、歴史的に形成されたにすぎない現行の印刷媒体を過大に崇拝するような態度に私は共感しない。当面は綱引きが続くだろうけれど長い目でみれば、パピルスの巻き物から羊皮紙の綴じた写本へ、さらには木版印刷から活版印刷へと媒体が変遷してきたようにお次は電子書籍へと移行していくだけの話だろう。

 その意味では、宿命の本との出会いという物語は紙の本でしか実現されえないという内田樹や、感情移入できない電子書籍にドラマは生まれないと主張する出久根達郎の見解には何ら根拠はない。メディアが変化してもテクストとの出会いにまつわる物語やドラマの様式が変わるだけで物語やドラマそのものが消失するわけではないだろう。彼らだけでなく、陳腐な紙の本礼賛や擁護論が予想以上に目立つのは岩波的な人選のなせるわざであろうか。

 本の歴史を概観した外岡秀俊の一文は示唆に富むものの「原点に帰って議論せよ」という一見もっともらしく聞こえる結びの呼びかけにはやはり素直に首肯くことはできない。この場合の原点とは歴史上のいかなる地点を指すのであろうか。たとえば現在の読書スタイルが確立された時点──紙に印刷された本が誕生した時点──と仮定する(それは歴史の通過点であって原点と呼ぶのは不適当であるが、それは措こう)にしても、グーテンベルク革命以降もしばらくの間は印刷本と写本との共存期間が続いたことはよく知られている。
 写本に愛着を感じていた年寄りたちのなかには、当時のハイテク生産の産物たる印刷製本された書物にとびつく若者をみて、「わしらの時代はせっせと一字一句書き写していたものじゃ。印刷された本にゃドラマはないよ」と内田樹みたいなことを言う者がいたかもしれない。

 そのなかでは、近世文学を専攻している中野三敏の論考には考えさせられるところ大であった。中野によると日本において活版印刷以前につくられた木版本・写本はざっと見積もって百万点。これらは「くずし字」によって記されている。すでに活字化されているのはそのうちの一万点ほどだという。これらを読み書きできる能力(中野は和本リテラシーと呼んでいる)を持つ研究者は三千人余。すなわち「日本の知識人の大半は、先人の知的遺産のわずか一%しか利用していないことになる」計算だ。

 明治以降の先人が責任をもって選んでくれた古典を活字で読めるのなら、それで十分ではないかという考え方もあるのかもしれぬ。しかしこれまで活字化された古典はといえば、根本的には近代主義の名のもとに意味づけられ、必要とされた書籍であることは当然であろう。その近代に明確な疑問符がつき始めた今日、必要なパラダイム・シフトが、近代主義で選ばれた古典を読むだけで、本当に大丈夫なのか。鍵はむしろ残りの九九%にひそんでいると思うのが常識なのではないだろうか。その九九%を読めるのが、何と国民の〇・〇〇三%しかいないという、何とも凄まじい文化状況が出現してしまっているのである。(p173)

 議論の詳細は省くが、中野は以上のような認識を示したうえで「読めないがゆえに、毎日、反故となって廃棄され続ける運命にある和本」を保存・整理するために「電子書籍はそのための福音のように感じられる」と結んでいるのだ。
 紙の本とともに暮らしてきた現代人は、いかに古い文献との出会いを蔑ろにしてきたことか。活版印刷の普及後に刊行された古典でさえも「売れない」という理由で簡単に絶版になっているではないか。紙の本のみに「物語」や「ドラマ」を感じているらしい内田や出久根の個人的な感傷よりも、私は中野の問題提起の方により壮大なドラマの可能性を感じた次第である。
by syunpo | 2012-10-14 17:28 | 文化全般 | Comments(0)
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