●中沢新一、國分功一郎著『哲学の自然』/太田出版/2013年3月発行
二〇一一年二月に発生した東日本大震災とそれに伴う原発事故は、少なからぬ言論人をしばし沈黙させたが、一方で多くの論客を様々な発言へと駆り立てた。本書は後者に属する二人の学者による対論の記録である。主なテーマはポスト〈原子力時代〉をどのように構想するか、という問題だ。それは二人にとって〈自然〉とどう向き合うのかという問いにも直結する。敷衍していえば、新しい自然哲学の構築、あるいは哲学の自然を探求する試み。かかる企ては「自然との調和」といったような観念的な紋切型思考におさまるようなものではないはずである。 二人が参照する知見は幅広い。ハイデッガーやスピノザを足がかりにして、数学理論の「コホモロジー」やホフスタッターの「不思議の輪」など、多方面から掴み出してきた概念によって来るべき自然哲学の見取図を奔放に描きだしていく。 全体をとおして重要な視点を与えているのが〈贈与〉という概念だ。 人類に対する最大の贈与とは太陽からのエネルギーである。この贈与の次元を絶ち切って、人間が自律性を獲得したいという欲望の具現化の一つとして原子力利用をみる、というのは中沢が『日本の大転換』で示した認識であった。國分もその見方を共有しながら贈与の次元を包括するような哲学を模索しようとする。贈与には必ず負債感が伴うが、太陽の贈与に対して何の負債感を負わずに感謝する思想を──と國分が提起するくだりはなかなかおもしろい。 ハイデッガーを再評価するのもそれらの複数のコンテクストに拠る。 核燃料は冷やし続け「管理」し続けねばならない、この事実そのものが「この力を制御し得ない人間の行為の無能をひそかに暴露している」とハイデッガーは考えていたのだから。さらに「感謝」についてもよく考えていた哲学者だから。彼は「思惟」には「感謝」も含まれるというようなことを述べていたらしい。 ハイデッガーはイオニアの自然哲学にも強い関心を示した。となれば、柄谷行人の『哲学の起源』も当然射程に入ってくる。新しい哲学の方向性をイオニアの自然哲学に見出そうとする二人の問題意識は完全に柄谷と重なりあう。そこでは単なる交換原理だけでなく贈与の次元が重視されることはいうまでもない。 本書で論じられていることは、前述した中沢の『日本の大転換』や國分の『暇と退屈の倫理学』など直近の書物の内容と重複するところも少なくないが、一見異質な二つの書物の著者が互いに相手の言葉を咀嚼しながら巧みに議論を進めていく話しぶりは、いささか精緻さを欠くとはいえ二人の知的柔軟性を感じさせる。 また東京都が進めている小平都市計画道路に関して、小平市の貴重な雑木林を破壊する点などを憂慮する市民が始めた「住民の意思を反映させる」活動に二人が関わったていることも詳しく論じられている。その意味では実践的な民主主義論になっているのも本書の特長の一つといっていいかもしれない。
by syunpo
| 2013-03-24 17:29
| 思想・哲学
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