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二〇世紀最大の哲学者の核心に迫る〜『ドゥルーズの哲学原理』

●國分功一郎著『ドゥルーズの哲学原理』/岩波書店/2013年6月発行

二〇世紀最大の哲学者の核心に迫る〜『ドゥルーズの哲学原理』_b0072887_202303.jpg 岩波書店創業百年を記念して創刊された岩波現代全書の第一巻を飾ったのは気鋭の哲学者による入門的なドゥルーズ論である。ジル・ドゥルーズは日本の論壇・思想界では相変わらず引用される機会が多いけれど、その著作群は難解をもってなる。その名を知ってはいてもその著作の内容を充分に理解しているとは言い難い一般読者は私を含めてたくさんいることだろう。

 國分は冒頭でドゥルーズとガタリの混同という問題に言及し、ドゥルーズに政治を読み取りたい論者たちは「ガタリ化」されたドゥルーズを読んでいるにすぎない、というジジェクの指摘を紹介する。これに答えるために、ドゥルーズの思想がそもそもどこにあるかを検討し、それに基づいてドゥルーズの哲学的プログラムを明らかにする。また、そこから導き出される実践の哲学を描き出していくのだが、ドゥルーズにおける実践の構想には「失敗を目指す」という点で明らかな難点が見出される。その難点を理論的に超える試みとして、ガタリとの協働作業を位置づける──というのが本書の大まかなストーリーである。

 ドゥルーズの「方法」として自由間接話法的ヴィジョンが取り出され、哲学原理として超越論的経験論を深化させていったと指摘する記述は明解である。またドゥルーズによって強調された「発生」への視点が実践とどう結びついていくのか、あるいはプラグマティックな権力分析からいかに「欲望」の問題へと突き進んでいくことになるのか、そのような問題系におけるドゥルーズの足どりもクリアに捉えられている。
 ドゥルーズを読むための最低限の条件を整えること。著者はあとがきにそう記している。その目的は充分に達成されているのではないかと私は思う。

 ドゥルーズが権力装置の分析を通じて現代社会に下した診断は、決して薔薇色のものではない。しかし、そのドゥルーズの哲学が自由を志向するものであった、という事実は我々に勇気を与える。(p225)
by syunpo | 2013-07-18 20:30 | 思想・哲学 | Comments(0)
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