●佐々木中著『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』/河出書房新社/2013年8月発行
佐々木中、相変わらず力強い。本書は佐々木のインタビュー記録《踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ》、講演記録《母の舌に逆らって、なお》《疵のなかで疵として見よ、疵を》、ベーコンをめぐる保坂健二朗との対談《この静謐な倒錯に至るまでに》、いとうせいこう論《神秘から奇蹟へ》、宇多丸とのラジオでのトーク《ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル 春の推薦図書特集!》を収める。 《踊れわれわれの夜を……》は風営法によるクラブ営業の規制が強まるなか、磯部涼を聞き手として行なわれたインタビューをまとめたもの。踊ることは生そのものに関わる根源的な営みであり、それは革命とも手を取りあうものであるということ。佐々木の言葉は文字どおり躍動している。ジョン・ケージや『古事記』『日本書記』などを引いて、踊りを規制することに異議を唱える口調はあくまで激しく熱い。 《母の舌に逆らって、なお》は翻訳をめぐる困難と可能性についての考察。翻訳とは、読めることと書けること、読めないことと書けないことが同時に立ち現れてくる事態そのものであり、そこには救済をめぐる何ものかが賭けられている。このことをドイツ・ロマン主義をベースにヘルダーリンやベンヤミン、坂口安吾などのテクストとともに語る。 《疵のなかで疵として見よ、疵を》ではアートとしての写真を「静止をとらえる」媒体としてではなく「時間藝術」ととらえる。そのうえでトラウマやPTSDなどの例を引きあいに出して、疵ついた時代における芸術の可能性を追求する言葉には創作に関わる者でなくとも勇気づけられるものがあるだろう。 《この静謐な倒錯に至るまでに》は、国立近代美術館で開催されたフランシス・ベーコン展に寄せて、展覧会をオーガナイズした保坂健二朗と語りあったものである。とかくグロテスクな画家として評されることの多いベーコンの画業の卓越性が浮き彫りにされる。 《神秘から奇蹟へ》と題されたいとうせいこう論はデビュー作の『ノーライフキング』をベースにして、いとうの小説世界の魅力いや魔力を鮮やかに取り出してみせる。小説家・いとうせいこう再評価の契機となるであろう批評として今後も参照され続ける一篇かもしれない。 《ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル 春の推薦図書特集!》では佐々木中推薦図書として、島田虎之介らのマンガ作品を紹介している。 いとうせいこう論を除き、話し言葉がベースになっていることもあり、議論の精緻さには欠けるうらみは残るだろう。が、話し言葉としての音楽的な味わい──〈歌の言葉〉とでもいうべきハイテンションの言葉が繰り出される様は熱気を帯びている。途中いきなり「舐めんじゃねえよ」などと言葉を荒げる場面が出てくるのもおもしろいといえばおもしろい。 歌い踊り戦う佐々木中の持ち味が充分にしみ込んだ書物ではないかと思う。
by syunpo
| 2013-08-31 11:46
| 思想・哲学
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