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柳田学という方法〜『柳田国男論』

●柄谷行人著『柳田国男論』/インスクリプト/2013年10月発行

柳田学という方法〜『柳田国男論』_b0072887_1975521.jpg 柄谷行人がこれまで書いた柳田国男に関する論文が三篇収められている。一九七四年に発表したもの二篇と八六年に発表したもの。実におもしろい。柄谷は柳田に対する主要な批判のパターンに対して、明快に反論を試みている。柳田擁護の立場からなされる読解は今なおスリリングで説得力も充分。本書を読んであらためて柳田の著作に向かいたくなる読者は私を含めて少なくないだろう。

 柳田国男は民俗学や人類学といったカテゴリーには収まらないような仕事を残した。彼自身、民俗学の定義をクリアに定義したこともない。それは柳田の学問に独特の綜合性があることを示している。それはある種の抽象力を必要とするが、その抽象に噛みついたのが吉本隆明だった。それを「勘」という言葉で片付けたのである。
 また柳田が打ち出した「常民」という概念にも批判は根強い。「常民は、定住民であり、日常性であって、周縁的で例外的なものを排除する」「本来多様であった日本の、民族的、生産的、言語的空間の差異を隠蔽した」という風に。

 しかし柄谷は違った見解を採る。柳田が「常民」と呼ぶものは「本来、農民だけではなく漂白民や芸能民や被差別民をふくむもの」だと確認したうえで、「精神史」や「文化史」として語られてしまう事柄を、微細な偶然的な事件のごときテクノロジーの側から見る視点をもっていた」ことを重視するのである。一般的な構造ではなく、ささいなディテールの累積に意味を見いだす方法。そこに柳田学の本質を見て柄谷は積極的に評価しようとする。

 柄谷の読みでもっとも特長的なことの一つはフロイトやマルクス、漱石など、一見すると柳田と結びつきそうにもない思想家や文学者の仕事を脇に持ってきて類推的に柳田を読み進めていくところである。これは凡百の民俗学者や歴史学者ではとうてい真似のできない、柄谷的というほかない力技ではなかろうか。

 たとえばフロイトを引き合いに出して、次のようにいう。

 フロイトが疾病の原因を、隠され忘れられた生活史のなかにみようとしたように、柳田は現代の問題を、隠された歴史、すなわち「常民の歴史」においてみようとした。(p133)

 あるいは夏目漱石の仕事との相似性を見出して。

 柳田が少年期から抱いていた寂寥感は、漱石のいう「淋しさ」「心細さ」と通じ合うものがある。……漱石が、自分の初期の作品を嫌悪して、書きはじめた本格的小説が、やがて『道草』や『明暗』にいたって初期世界を再現しはじめたことは、柳田が農政学から民俗学への移行において、再び初期の詩的世界にあったモチーフを実現しはじめたことに対応している。(p158)

「意識に関するおしゃべりがやみ、現実的な知識がとってかわらねばならない」といったマルクスに、最初は農政学に向かった柳田を重ね合わせようとするのも柄谷ならではのダイナミックな視点だろう。

 その意味では柳田国男は徹底して唯物論者であった。「意識」ではなく「存在」すなわち「現実の生活過程」を凝視した。しかもそれらの表層ではなく、あくまで「物深い」ところを見ようとした。重要なのは、そうした探究を具体的に「言葉」を通して実践したという点である。柳田の考えでは、言葉こそ歴史──かつてあった現実──を保存し続けるものである、言葉を道具や記号などとしてではなく、人間が実存し行動することと切り離せないものとして捉えた、と柄谷はいう。

 柳田は何ひとつ積極的な「思想」を語らなかった。現存する「言」の綿密な比較考証を通して、「事」と「心」に深くわけいっただけである。だが、それこそ彼の思想にほかならない。(p265)

 柳田の書物にはむろん乗り越えられるべき点は多々あるだろう。しかしながら柄谷の深い洞察に接するとき、私たちは柳田の残した《山の人生》や《先祖の話》が実にいきいきとしたテクストとして現代に甦ってくるように思われるのだ。
by syunpo | 2013-12-25 19:15 | 思想・哲学 | Comments(0)
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