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侮辱のなかに生きるということ〜『永続敗戦論』

●白井聡著『永続敗戦論 戦後日本の核心』/太田出版/2013年3月発行

侮辱のなかに生きるということ〜『永続敗戦論』_b0072887_19592359.jpg 戦後われわれは一体どのような社会構造・権力構造をつくりあげてしまったのか。白井はその問いに対して「永続敗戦」なる概念をもって応えようとする。曰く、敗戦そのものは決して過ぎ去ってはいない、その意味では「敗戦後」など実際は存在しない、と。私たちは「驚異的な戦災復興と経済発展による脱貧困化と富裕化の幸福な物語によって隠されたかたち」で敗戦を生き続けてきたのだ。

 ……それは二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽するという日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二側面は相互を補完する関係にある。……かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。(p47~48)

 こうして戦争末期の敗戦処理から戦後の政治体制までを「永続敗戦」という概念で切っていく著者の筆致はそれなりに明快である。個別具体的な問題における見解には肯定しうる点も多々ある。だがそれにしても本書の大上段にふりかざした議論に私が認識を刷新するようなところはほとんどなかった。

 そもそも戦後民主主義の恩恵をたっぷり受けて学識を蓄積してきた若い学者や論客が戦後民主主義の欺瞞や虚妄を撃つことは日本の論壇ではありふれた光景である。というよりそれらは戦後まもなく丸山眞男が「戦後民主主義の虚妄に賭ける」と宣言したことのネガティブな変奏を超えるものではないだろう。白井自身もそのことは自覚しているらしく、あとがきに「戦後日本の問題をあらためて指摘したにすぎない。いま必要なことは議論の目新しさではない」と明言している。

「永続敗戦」というきっぱりとした語彙で戦後日本を総括している以上、戦後社会のあらゆる仕組み、社会制度も教育制度もその歪みを内包しているとの認識に至るはずである。当然そのなかで育ってきた著者自身も「永続敗戦」的思考のパラダイムから自由ではありえなかったに相違ない。ならば自己言及的な吟味なしに「永続敗戦」を唱えたところで知的インパクトをもつことはないだろう。しかし本書からはそのような意味での葛藤はあまり伝わってこなかった。人々から真の意味での葛藤を奪う装置が「永続敗戦」なのだとすれば、それを唱える者にもまたその効力は及ぶということなのだろうか。
by syunpo | 2014-01-08 20:05 | 政治 | Comments(0)
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