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〈関東史観〉を撃つ〜『日本に古代はあったのか』

●井上章一著『日本に古代はあったのか』/角川学芸出版/2008年7月発行

〈関東史観〉を撃つ〜『日本に古代はあったのか』_b0072887_19134270.jpg 日本に「古代」と呼びうる時代は本当にあったのか。なかったのではないか。書名が示すとおり、これが本書のメインテーマである。そしてもう一つ、日本史学における「京都学派」対「関東史観」の対立図式を抉り出すというのが裏テーマといってよい。この二つのテーマは密接に絡みあっているのだが、とりわけ後者は学界の機微に触れる問題でもあり、門外漢たる著者だからこそ挑むことができたのではないかと思う。

 現在の日本史教育では、古代・中世・近世・近代という時代区分が用いられ、中世は鎌倉時代に始まるというのが通り相場になっている。井上はそのような時代区分がいかに通説化されたのかを探究していくうちに、学界を主導してきた東大を中核とする関東史観の陥穽を見いだして、それを批判的に吟味する。その際に肯定的に対比されるのが「京都学派」ともいうべき歴史観だ。そのうえで「日本には古代はなかった」という結論的命題に到達するのである。

 一般に鎌倉時代に時代の画期をみようとする歴史学者は、武士階級が従来の京都を中心とした朝廷や公家の腐敗を刷新して活気あふれる時代(=中世)を築いたという図式に立つ。源氏がそのような統治を可能にしたのは腑抜けた京都から距離を置いたためだ、という解説がそれに付随する。その史観に立てば、鎌倉以前は停滞的な古代であった。それと相似的な論法で江戸時代をもって近世が始まるという史観も成立する。

 ながらく教科書の定番とされてきた時代区分は、関東びいきの思惑でできている。関東を進歩的だと考え、近畿をより停滞的なところとして位置づける。そんな関東優位史観が暗暗裡にはたらいて、かたちづくられている。だからこそ、関東が近畿をうちまかす時期に、新時代の画期はおかれてきたのである。(p135)

 明治維新によって天皇も京都から東京に移り、江戸期の大義名分論(天皇を君主とする建前)から解放された歴史学は遠慮なく京都の停滞や腐敗に言及するようになった。「中世と近世の新時代は、鎌倉時代と江戸時代に始まる。これは関東を中心とする明治維新のイデオロギーではないのか」と井上が糾弾する所以である。

 中世を美化するために、そのひきたて役として、腐敗した古代をもうけようとする。関東と鎌倉をかがやかせるために、畿内と京都をおとしめたがる。そんな欲望につきうごかされた連中が、歴史教育の根っこにはいる。(p210)

 そのような明治維新のイデオロギーたる関東史観と対立する史観を唱えた一人が内藤湖南である。内藤は東洋史が専門であるが、日本史においては応仁の乱を画期的な出来事とみなして、それをさかいに中世と近代を分けるような歴史観を拓いた。公家の所有権を決定的に衰弱させたのは鎌倉の武士たちではなく応仁の乱である。内藤以降、それを受け継ぐ形で主に京都大学に関係する研究者たちがはっきりと関東史観を相対化するような仕事を展開するようになる。封建制度の兆しは律令制度下でも見出すことができる、農地耕作者の権利は荘園制のもとでもある程度許容されていた、というように。

 のちの荘園制は、飛鳥時代にも「所領田園」という形で、できていた。中世的な分裂は、律令以前のころから、その根をもっている。日本史は、はじめから中世史としてはじまった。……
 ……律令制は、一見古代的にうつる。だが、それも、中世的な分裂を克服したくてもちこまれた制度にほかならない。つまりは、中世を背景にしていると言うしかない制度なのである。(p122)

 ここで重要なのは、著者の認識にしたがえば京都学派に括れるような人たちは、西欧の歴史をアナロジカルに参照しつつ、中華帝国との関連において日本史をみるという視点をもっていたという点である。それに対して関東史観の研究者たちは、西洋と日本との比較はやるが、中国などの歴史を無視・軽視する傾向が強かったというのが井上の見立てだ。「ユーラシアの世界史として語るべき展開を、日本列島内へおしこめてきた」のが関東史観であった。

 井上の立場からすると、大日本帝国に親和的だった原勝郎も、戦後史学の雄となった石母田正も、「文明の生態史観」で一世を風靡した梅棹忠夫も、日本の封建制度を研究したライシャワーも、いずれも「関東史観」の枠組みにとらわれていた者として批判されるべき存在なのである。

 著者にとっては幸いにも「中世の始点をどこにおくか、という議論に関しては、東大対京大の対立は京大に凱歌があがった」とされる。一般社会への浸透は不充分ではあるもののアカデミズムにおける潮流は変化を遂げたという。

 それにしても、これまでの史学界において本書が指摘するような〈関東史観/京都史観〉という単純な色分けが成立するものなのかどうか私にはよくわからない。細かな点をつつき出せば反論はいくらでも可能だろうと思われる。が、縄張り意識や学閥には敏感らしい日本のアカデミズムにあっては、本書の根幹を完全に否定しきることもまた困難ではないか。同じようなことをかつて網野善彦も発言していたものだ。井上の主張は具体的であり、文献を読み込んだうえでなされている。本書のあとに出た『伊勢神宮』でも同趣旨の検証がおこなわれているから、井上にとってそれは看過できない論点なのだろう。一般読者たる私にはおもしろい本であったといっておこう。
by syunpo | 2014-01-17 19:30 | 歴史 | Comments(0)
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