●想田和弘著『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』/岩波書店/2013年11月発行
想田和弘は《選挙》《精神》などの話題作を撮り続けているドキュメンタリー映画作家。台本、ナレーション、BGMを使わない「観察映画」と呼ばれる手法で知られる。本書は岩波ブックレット・シリーズの一冊で、体験談をベースに日本の民主主義の危機を訴えて説得的な内容だ。 橋下徹や安倍晋三の人気の秘密についてあれこれ吟味する第1〜2章も興味深いが、〈「熱狂なきファシズム」にどう対抗するか〉と題された第3章がとりわけ鋭い。そこで想田は現在の主権者たる国民の受け身的な政治への関与(非関与)のしかたを「消費者民主主義」なる概念で分析している。一人ひとりの国民は主権者であるにもかかわらず、政治の領域においてもあくまで消費者的な立場に座しているというのである。 政治に関するトークショーに想田が参加したときのこと。聴衆の一人から「政治は分かりにくいからハードルが高い。もっとハードルを下げてもらわないと、関心を持ちにくい」という声があがった。想田はその苦情に対して違和感を表明する。 ……僕ら登壇者も発言した男性も、「主権者」という意味では同じ立場なのであり、僕らが政治を分かりやすく語っていないと思うなら、彼がその役割を果たそうとしてもよいはずだからです。少なくとも、自分で「分かろう」と努力してもよいはずでしょう。 にもかかわらず、男性は僕らに政治を分かりやすく語ることを「要求」している。少なくとも、「当然、要求してもよいはずだ」という確信を抱いているようにみえる。なおかつ、「自分にはそれは要求されない」とも信じているようにみえる。 そう思い至った瞬間、僕は直観しました。 「そうか、あれは消費者の態度だ」 自らを政治サービスの消費者であるとイメージしている彼は、政治について理解しようと努力するする責任が自分自身にもあろうとは、思いもよらなかったのではないか。(p54〜55) 想田はいう。憲法とは、たとえ文面がそのままでも、そこに保障されている権利を主権者が行使しないのであれば、実質的に力を失っていくものなのです、と。そのことを考える素材として想田は自分に降りかかった二つの具体的事例について紹介している。映画《選挙》撮影中に自民党候補者から受けた取材拒否と恫喝。そして《選挙》上映会を一方的に中止しようとした日比谷図書館の検閲。彼はその二つの戦いで「不戦敗」を避け、初志を貫いた。そのプロセスを報告したレポートにはいくつもの教訓やヒントがこめられているのだが、とにもかくにもそのような想田であればこそ、憲法一二条の条文を引きつつ熱狂なきファシズムに抵抗していく手段として「不断の努力」をアピールする本書の結論的なメッセージに説得力が宿るというものだろう。 政治家を一方的に批判するだけで何か高尚な政治的意見を述べたつもりになっているらしい文章を見かける機会は未だに多い。そのような時流に警告を発すべく主権者たる国民の積極的な政治参画を訴えている点では宮台真司や湯浅誠の民主主義論にも相通じる内容といえるが、闘争を体験して得た学びから発せられる本書の問題提起にはまた一味違った力強さを感じた。
by syunpo
| 2014-07-25 20:02
| 政治
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