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驚異と謎の地をめぐって〜『モロッコ流謫』

●四方田犬彦著『モロッコ流謫』/新潮社/2000年3月発行

驚異と謎の地をめぐって〜『モロッコ流謫』_b0072887_18383029.jpg イタリアは生きる悦びであったが、モロッコは驚異と謎そのものだ。世界各地を旅してきた四方田犬彦はそう書きつける。アンリ・マチス、フランシス・ベーコン、トルーマン・カポーティ、サミュエル・ベケット、ロラン・バルト……あまたのアーティストや文学者たちを魅了してきたトポス=モロッコをめぐって書かれた、これはブリリアントな紀行エッセイであり、優れた文芸批評である。

 地中海と大西洋が交わる要所にかつてコスモピリタンの港町として栄えたタンジェ。内陸の旧都フェズ。上アトラス山脈の麓、砂漠のただなかにつくられた都市・マラケッシュ。アトラス山脈を越えてオアシス地帯に建設されたワルザザート。再びタンジェ。そしてララーシュ……。四方田はこの土地と関わりをもった文学者たちの声に導かれるようにしてモロッコを旅し、モロッコ体験に示唆を得ながらそれらの文学テクストを読もうとする。

 とりわけ本書でもっとも中心となる人物は、ポウル・ボウルズである。
 ボウルズは《シェリタリング・スカイ》《蜘蛛の家》などの作品で知られる小説家で、コープランドに師事した音楽家でもあった。ニューヨークに生まれながら、タンジェの「魔法の魅力」に取りつかれ、妻ジェインとともにそこに長く暮らした異能の人物だ。四方田は《蜘蛛の家》などを訳出し、日本における彼の認知度を高めるのに大いに貢献した。

 四方田はタンジェに住むボウルズの家を何度も訪ねては会話を重ねたらしい。ちなみに四方田にボウルズの翻訳を強く勧め、ボウルズの連絡先を教えたのはジム・ジャームッシュ。
 四方田はいう。

 ボウルズの作品は徹底した達観という姿勢を貫くことで、凡百の『第三世界』旅行記とは比較にならない地点に到達している。マグレブ世界を描こうとする作家たちは、ともすれば安手のオリエンタリズムの罠に陥ってしまい、自分の語りが拠って立つ場所に無自覚のままに終わる。ボウルズはいかなる場合にも自分に超越的な全能の視座を許そうとはしない。だが彼は例外なく、自分を世界の外側に置いて語ろうとしている。(p37)

 ボウルズ自身が四方田に語りかけた言葉もまた実に興味深い。「モロッコはいうなればイスラムの植民地だよ。アラブ人がベルベル人を征服して、彼らをまるでアメリカ・インディアンのように扱っているわけだ」。

 ボウルズと親交をもち、やがて辛辣にボウルズを批判するようになったベルベル人作家のモハメッド・ショックリーとの対話もおもしろい。彼はヨーロッパから到来する作家たちがモロッコにさほどの関心を持たず、自分たちのユートピア的妄想を投影しているにすぎないことを批判する。
 さらには後半部、ジャン・ジュネの足跡をたどるようにして綴られる文章も興趣に富んでいる。人生の終盤をパレスチナの解放闘争の支援に捧げたこの作家は、ララーシュのスペイン墓地に眠っているのだという。最晩年のジュネは実存主義の英雄でもなければ天才文学者という形容からもほど遠い存在となっていた。「わたしが心に抱く最後の彼のあり方とは、モロッコの民衆の間で代々伝えられてきたマリブー、つまり聖人のそれである」──四方田はジュネの仕事を振り返った後にそう述べる。

 ボウルズ的なるものによって開始されたわたしのモロッコへの関心は、十数年を経るうちに、しだいにゆっくりとではあるが、ジュネ的なるものへと移行しつつある。(p205)

 そうした旅の途上で、時にアナーキスト石川三四郎に思いを馳せ、三島由紀夫の実弟でモロッコ大使も務めた外交官・平岡千之を回想したりもする。もちろん映画研究者として、《カサブランカ》《ヘカテ》はもちろん、愛川欽也が自作自演した《さよならモロッコ》といったフィルムへの目配りも忘れない。

 ボウルズもジュネも石川三四郎も、それぞれの帰属する都市や国家のなかで、人生をめぐるある諦念に達したり、疲弊を味わったのちにモロッコに辿りつき、そこでわが身の解放の瞬間が来ることを待ち続けた。そしてまた一方で彼ら流謫者たちを待ち構え、歓待と敵意のもとに迎えたモロッコの人々が存在している。

 流謫者の足跡を辿るだけでなく、またモロッコの人々に安易に寄り添おうとするわけでもない。四方田犬彦の視座はある意味で微妙なバランスのもとにある。モロッコをめぐる「驚異と謎」が明快に解析されたわけでも、もちろんない。「謎に立ち向かうもっとも礼節に満ちた態度とは、それを永遠に謎に留めておくことかもしれない」というハイデガーの言辞を引用してさえいるのだから。いずれにせよ、これは稀代の旅人によるモロッコの壮大なタペストリーのような本とでもいえばよいか。
 なお本書は二〇一四年七月に筑摩書房によって文庫化された。
by syunpo | 2014-08-02 18:44 | 文学(小説・批評) | Comments(0)
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