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裁判所パノプティコンに抗う〜『司法権力の内幕』

●森炎著『司法権力の内幕』/筑摩書房/2013年12月発行

裁判所パノプティコンに抗う〜『司法権力の内幕』_b0072887_1845312.jpg 元裁判官で現在は東京弁護士会に所属する弁護士が「市民にとって意義のある司法権力批判」を目指して執筆した本。フランツ・カフカの『審判』をマクラに振っておもむろに本論に入っていく導入部の語り口など期待感を抱かせるに充分なのだが、結論からいえば、当初の目的が達成されているとはお世辞にも言いがたい内容である。

 森はミシェル・フーコーの「規律権力」「パノプティコン」なる概念を導入して、日本の司法権力のメカニズムを概説しようとする。批判の対象となっているのは主に裁判官であるが、この概念のもとでは特定のポストや部署に支配権力の中枢が実在するわけではなく、司法機構全体を覆う「規律権力」が作動して裁判官の行動を歪めているというのが本書の見立てである。
 そこで著者は裁判員制度に司法改革の期待を託して、裁判に参加する市民が「裁判所パノプティコン」に対抗することを呼びかける。いわく「司法ゲリラとなって、裁判員制度を逆手に取り、司法革命への道を突き進め──霞が関を占拠せよ!」。

 しかし、そもそもフーコーのいう「規律権力」とは、あらゆる市民を学校や工場、病院などの機関を通して規律訓練していくものとして遍く存在しているものなのである。したがってフーコーの考えに従うなら、すでに規律訓練をほどこされている市民たちが、戦って勝ち取ったわけでもない制度のもとに司法の場に参入したところで、抜本的な改革など生じるはずはないだろう。ついでにいえば、冤罪被害の発生には捜査当局や裁判所の所業のみならず世論や国民感情も少なからず加担してきたという事実を忘れてはいけない。

 フーコー以外にも随所に哲学・思想家からの引用がおこなわれているのだが、そうした大仰な言葉使いはもっぱら議論を抽象化するのに貢献するばかりで、「内幕」という書名から期待されるようなファクトの積み重ねによる具体的記述が意外と薄いのが何より残念。多く紙幅が費やされている過去の裁判の解説などは外部の研究者でも資料を読みさえすれば書けそうな内容である。その意味では、第一章のエッセイ風体験談が私には最もおもしろかった。

 また肝心の事実関係の認識においても首をひねりたくなるような箇所がみられる。造船疑獄事件をめぐる記述だ。法相の指揮権発動によって検察の捜査が妨害されたケースとして、かつてはよく引き合いに出された事件である。しかし最近の複数の調査報道によって、当時の検察官の証言をもとに捜査は最初から無理筋で指揮権発動は検察側の策動によるものであったことが明らかになっている。ところが、本書では従来の説を無批判に繰り返して「検察は、妥協を排して政治権力に向かっていく強い意志を天下に示した」と関係者が読めば失笑を買うようなまとめ方をしているのだ。あれこれと小難しい哲学書を参照するより先に、自身の専門分野における最新の文献くらいは目を通すべきではないか。
by syunpo | 2014-11-14 18:47 | 憲法・司法 | Comments(0)
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