●クライブ・フィンレイソン著『そして最後にヒトが残った』(上原直子訳)/白楊社/2013年11月発行
私たち現生人類よりも脳が大きく屈強だったネアンデルタール人が滅び、私たちが生き残ったのは何故なのか。本書の回答は単純である。──「能力と運のおかげ」。 この場合の能力とは気候変動など環境の変化に対応するための方策を見つけ出す、イノベーターとしての才覚というべきものだが、重要なのは「イノベーションは、身体的な能力のおかげというよりも、新たな生活環境で直面した問題を解決することで生まれた」という点にある。さらに付け加えればネアンデルタール人にイノベーターとしての能力が決定的に欠けていたというわけでもない。 結局のところ、私たちが適切な時に適切な場所にいることができたのは、ただ運がよかったからにすぎない。著者はいう。この考えに私はいつもはっとさせられ、自分の身の丈を思い知らされる、と。さらに「人間は自分で思っているほど飛び抜けて特別な存在ではない」とも。 人類の物語の舞台監督は気候である。ネアンデルタール人であれ現生人類であれ、住んでいた場所と手に入る資源がその住人の行動を大きく左右する。場所の快適さや資源は気候に依存することは言うまでもない。 ネアンデルタール人は主にユーラシア大陸の森林地帯に暮らし、豊富な動植物相を背景に繁栄の時を過ごした。だが、その後に長い寒冷乾燥期が訪れ、森林地帯は狭められていく。 一方、ステップ周縁地域で生きていた現生人類はイノベーターとしての工夫を凝らしながら寒冷乾燥期を乗り切ろうとした。ネアンデルタール人よりも小さな身体は獲物を得るための持久力に有利に働いた。そしてユーラシアの平原で飛躍的に数を増やしていったのである。 ネアンデルタール人が農耕民にならなかったのは、知能に問題があったからではなく、気候によるものと考えられる。当時のユーラシアの気候は現在よりもかなり厳しく、農耕に適した環境がなかった。また温暖な時期に暮らしていた時期もあったが、その時には人口が少なく、利用できる資源にも余裕があったため、定住型の生活様式は見向きもされなかっただろう。 興味深いのは、全体の状況が悪化するときは抑圧された集団が一番うまく切り抜けることができるという法則に著者が何度も言及しているところだ。「弱者の生き残り」ともいうべき現象は、先史時代からの人類の歴史にも当てはまる。 ちなみに、本編ではネアンデルタール人と現生人類とのあいだに重大な遺伝子混合はなかったことが述べられている。しかし巻末の近藤修の解説によれば、原著の出版以後の研究によって現生人類とネアンデルタール人とのあいだに交雑のあった可能性が指摘されるようになったという。先史考古学もまた進化しているのだ。
by syunpo
| 2015-02-04 19:36
| 先史考古学
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