●長谷部恭男編『「この国のかたち」を考える』/岩波書店/2014年11月発行
憲法改正論議の高まりとともに、そもそも日本の国柄はどのようなものなのか、国を守るとは具体的に何を意味するのか、という類の「国のかたち」にまつわる問題があらためて問われるようになった。本書は日本という国の自己イメージについて考える材料を、法学・政治学・歴史学・社会学の見地から提供すべく編まれたもの。寄稿者は、苅部直、加藤陽子、葛西康徳、吉見俊哉、宍戸常寿、長谷部恭男。二〇一三年度冬学期に東京大学で行なわれた学術俯瞰講義「この国のかたち──日本の自己イメージ」がベースになっている。 私にはいささか退屈な読み味の本ではあったが、本書後半で憲法の平和主義をめぐって苅部と長谷部が間接的に論争しているのは読みどころの一つといえようか。 苅部は、二〇一四年の集団的自衛権行使容認の閣議決定に関連して、政権が突発的に出してきたものではなくて、南原繁らが提起した見解を踏襲するものであることを示唆する。また集団的自衛権の行使を違憲とした内閣法制局の見解について、その根拠が必ずしも明らかでないとする学説を紹介している。論旨には賛同できない点も多々あるのだが、あまり議論されることのない憲法解釈に関する戦後史の一断面に論及するものとして学ぶところがあった。 それに対して、長谷部は(はっきりと名指しこそしていないが)苅部の論考についていくつかの論点から批判する。たとえば内閣法制局の憲法解釈が今までも変化したことがあることを指摘し安倍内閣の解釈変更のみを非難することに疑義を呈する苅部に対して、やんわりと反駁を加える。 ……それまで明確に違憲とされた事例を、基本的考え方を変更してまで合憲とした事例はありません。過去にも見解が変わったことがあると平板なレベルで一般化し、それをことさらに言い募ることに何の政治的意図もないとは考えにくいところがあります。(p206) 長谷部はさらに「立憲主義への攻撃は、日本という国の根幹を揺るがすものでもあります」と警鐘を鳴らし、憲法学の見地から「国のかたち」を安易に考え変えることへの批判的立場を明確にしている。 このほか、吉見俊哉が広告をとおして戦後の日本の自己像の変遷をあとづけている一文も、本書のなかではやや浮いている印象が拭えないながらも興味深く読んだ。
by syunpo
| 2015-03-16 20:37
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