●吉川浩満著『理不尽な進化 遺伝子の運のあいだ』/朝日出版社/2014年10月発行
ダーウィンが提唱した進化論(ダーウィニズム)は、適者生存の教えとして知られている。しかし「これまでに地球上に出現した生物種のうち、じつに九九・九パーセント以上はすでに絶滅してしまっている」という。ならば現在残っている種は、厳しい生存競争を勝ち抜いてきたスーパーエリートたちなのだろうか。そうではない。「千にひとつの僥倖に恵まれた」だけである。つまり進化の根底には理不尽な偶発性が横たわっているのだ。著者はいう。 栄光の軌跡はたしかにいいものだけれども、生存に失敗することが生物としてむしろ標準的なありかたなのだとしたら、そうした失敗からこそ多くを学ぶことができるはずなのだ。(p27) かくして本書では「理不尽な進化」という概念を理解するために、進化論の俗流解釈や誤解のあり方を概観したのち、それらとも連関する専門家による激しい論争のプロセスをあとづけていく。 進化論が社会に広く行き渡ったとき、それは社会ダーウィニズムとして強い影響力をもつことになった。優勝劣敗、弱肉強食などダーウィン以前の発展的進化論にまつわる言葉がダーウィニズムの名のもとに様々な局面で転用されていったのである。いわく「ダメなものは淘汰される」「電子出版の時代における出版社の生存戦略はなにか」などなど。そうした物言いはもっぱら資本主義における効率主義や競争原理の正当化に一役買ってきた。そのような進化論理解は素人の勝手な解釈とも言い切れず、自然淘汰説のトートロジカルな性質によって導かれるものである。 一般には、「ダーウィン革命」によって近代人の思想にダーウィン進化論がインストールされたと考えられているが、実相は異なる。革命の名において人びとの思想に住みついたのは、ダーウィン進化論ではなく、それ以前から醸成されていた近代的進歩史観の進化論版である「発展的進化論」であった。つまりそれは実際には「非ダーウィン革命」であった。(p164〜165) 専門家の間で戦わされた論争においても、自然淘汰説は問題の焦点となった。本書ではスティーヴン・ジェイ・グールドとリチャード・ドーキンスの論戦にスポットがあてられ、その顛末が詳細に吟味されている。そこに本書のエッセンスが詰まっているといえよう。 「自然の説明」と「歴史の理解」の中間に位置する進化論は、科学的方法としては卓越している一方で、生命史の理不尽さに対するアプローチとしては優れているとはいえない。著者の見立てによれば進化論の適応主義を批判したグールドはその中間で苦しんだ進化論者である。科学的論争においては論破されることは必然だったが、彼の残した敗走の軌跡は今なお無視することができないのではないか。グールドは、まさしく進化の理不尽さに執着しながら「進化論が進化論であるための条件を原理的に確保しようとする姿勢」を維持し続けた科学者だったのだ。 どうしてグールドが困った立場に陥ったのか。私は次のように考える。それは彼が、進化論(ダーウィニズム)が私たちに呼び覚ます魅惑と混乱の源泉を正しく見定めたからだと。(p273) 本書がよく出来た進化論入門というレベルを超えて読者に強く訴えかけてくるのは、グールドをとおして進化の理不尽さに思いを致し、そこに進化論の両義的な性質を再確認したことによる。その作業から「自然の説明」と「歴史の理解」という人間の二つの営みの葛藤を浮かび上がらせ、科学では捉えきれない人間存在の理不尽さへの想像力を喚起させるところが本書を滋味豊かなものにしているといえるだろう。ただし著者の幅広い知見をちりばめた饒舌な筆致は好悪を分かつかもしれない。
by syunpo
| 2015-06-25 20:41
| 生物学
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