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永続敗戦レジームの純化に抗う〜『「戦後」の墓碑銘』

●白井聡著『「戦後」の墓碑銘』/金曜日/2015年10月発行

永続敗戦レジームの純化に抗う〜『「戦後」の墓碑銘』_b0072887_2094140.jpg『永続敗戦論』でおなじみの白井聡の小文集。週刊金曜日に連載したコラムを中心に様々な媒体に発表したものを収めている。内容としては持論の「永続敗戦レジーム」に基いて、昨今の政治状況を分析したもの。

 白井のいう「永続敗戦レジーム」とは、無制限対米従属と対国内およびアジア諸国に対する敗戦の否認という二つの側面をもつ。安倍政権の路線は白井にいわせれば「戦後レジームからの脱却」ではなく「永続敗戦レジームの純化」ということになる。そのような基本認識から繰り出される白井の論考は当然ながら日本の政治の現状に対する強い批判となってほとばしり出る。

 そのなかで私が興味深く読んだのは「永続敗戦レジーム」からの脱却を実践するにあたり、参照すべきどのような人物がいるのかを論じた第3章。石橋湛山、野坂昭如や江藤淳が戦後レジームに「挑んだ者」として留保つきながらも肯定的に言及されている。

 湛山について触れた講演記録〈永続敗戦レジームへの抵抗者としての石橋湛山〉では、戦後、保守政治家のなかで珍しくもGHQに追放された湛山の思想や実践から学ぼうとする。湛山は一貫して対米従属路線一辺倒に抵抗的なスタンスを示し、大蔵大臣のときに占領軍の駐留費用削減などの行動に出た。そうした姿勢がGHQから不興をかったのであるが、後に湛山は日米安保条約を日中米ソ四国同盟化しようという構想まで描いた。白井は「なぜ第二、第三、第四、第五の湛山がいなかったのだろうか」と問いかけている。

 江藤の場合には一九八〇年に初版が刊行された『一九四六年憲法──その拘束』の解説という形で江藤への再評価がなされている。その仕事は戦後民主主義批判と戦後憲法批判が両輪となっているのだが、白井はそこに「永続敗戦レジーム」からの脱却の契機を見ようとするのである。

 野坂の「インポテンツの思想」もまた、同じ文脈によって示唆的なものとなる。戦後民主主義は丸山眞男のいうように一つの「虚妄」であった。しかし「虚妄に対する焦燥を募らせること、その打破に対してリビドーを直接に集中させることは、悪循環でしかない。『虚妄の打破』それ自体がいま一つの虚妄にすぎないことを、野坂は確信してい」たのだ。むしろ「虚妄を見透した者だけが達する清々しい心境がある」。

 大半の論考が同じ切り口で論じられているため、いささか単調な読み味であることは否めないものの、近頃の小文集にしては珍しく書物としての一貫性が強く感じられるのも事実。戦後の日本のあり方を考えるにあたって今や白井の著作は外せないだろう。
by syunpo | 2015-11-09 20:17 | 政治 | Comments(0)
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