エリートによるエリート批判〜『グローバリズムが世界を滅ぼす』

●エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡、堀茂樹著『グローバリズムが世界を滅ぼす』/文藝春秋/2014年6月20日

b0072887_18541182.jpg 二〇一三年一二月、京都で行なわれた「グローバル資本主義を超えて」と題する国際シンポジウムでの議論をまとめた本。グローバル資本主義について、経済学だけでなく社会人類学、現代社会論など多様な観点から批判的に検討するという趣旨である。

 エマニュエル・トッドは、自由貿易がもたらす二つの問題──経済格差の拡大と賃金競争がもたらす効果──を指摘。前者は富の再分配で解消・軽減できるかもしれないが、深刻なのは後者の問題だ。「生産の増大に対し、需要全体が一般的傾向として遅延する」ことにいかに対処するか。
 一九五〇年から七五年までは「賃金上昇と経済発展を一対の車輪のように意識しているかのよう」な現象がたしかにみられたのに、現在では企業が「賃金を純粋なコストと見なす」ようになり、賃金コストの削減がすすんでいる。世界は需要不足による本格的な不況に脅かされる段階に入ったのである。自由貿易は経済危機の解決策どころか、その原因といえる。

 ネオリベラリズム的な政策は格差を拡大するのみならず、経済成長にも寄与しないというハジュン・チャンの指摘も重要だろう。金融が重要だと思うがゆえに金融規制の強化を説くという姿勢は理にかなっている。

 トッドにしてもチャンにしてもさして目新しい視点を提起しているわけではないのだが、日本人パネラーの論考・発言はそれに輪を掛けて凡庸で退屈。

 グローバル資本主義を全体主義のあらわれとみる藤井聡の論考は、ハンナ・アーレントを下敷きにしているのは良いとしても、議論の組み立てが粗雑でお世辞にも説得的とは言いがたい。藤井のいうグローバル化全体主義を超えるための方策としてナショナリズムを重視せよという主張も陳腐で拍子抜けした。

 グローバル化を歴史的な視点から分析する柴山桂太は、一八七〇年代から一九一四年までの第一次グローバル化と現在の第二次グローバル化を比較対照しながら脱グローバル化への道を探っていく。一九三〇年代の失敗は保護主義のせいではなく、各国が保護主義をとってもなお各国の共存が可能になるような、新たな国際協調の枠組をつくることができなかったことによる、という。逆にいえば「国ごとに政策の自由度を確保し、独自の制度の発展を保証する」体制が今後は不可欠ということになる。

 中野剛志は新自由主義と保守主義が結びついている現状を珍奇な現象と指摘したうえで、そのような結託が生まれた理由をエリート層の劣化に見いだし、結論として本来的な意味での保守主義の復興を提起している。

 本書に登場するパネラーたちに共通しているのは、良くも悪しくも「民主主義」や「国民主権」という概念をあまり信用していないらしいということである。エリート批判とは裏返せばエリートがきちんと統治してくれさえすれば世の中がうまく回るという発想だろう。
 グローバリズムは民主主義をも危機に追いやるという認識を共有していながら、最後までその対応策に言及されないのはどうしたものか。ここに政治学者がいないと言ってしまえばそれまでだが、民主主義をいかに活性化するのかという論題を脇に追いやったまま、もっぱらエリート論に熱中する本書の議論に私は今ひとつノリきれなかった。
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by syunpo | 2015-11-23 18:56 | 経済 | Trackback | Comments(0)
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