●宮台真司、香山リカ著『少年たちはなぜ人を殺すのか』/筑摩書房/2009年7月発行
少年犯罪が社会問題として論じられることが増えた一九九〇年代に、宮台真司と香山リカが交わした対論の記録。後半は映画《ユリイカ》の青山真治監督を交えて行なったトークセッションを聴衆からの質問に応答する部分も含めて収録している。原書は二〇〇一年に創出版より刊行され、二〇〇九年にちくま文庫に入った。 宮台によれば、昨今社会問題化している特異な少年犯罪は「脱社会的存在」による犯罪とみなしうる。これは従来の不良である「反社会的存在」とはまったくタイプが異なる。「反〜」の方は「学校など社会制度が改善されればガスが抜ける程度」のものだが、「脱〜」の方は精神病理学的には正常で、今までのような安易なやり方が通用しない。 「脱社会的存在」による殺人事件を考える場合、共通しているのは「人を殺すということの敷居」が下がっていることだ。その背景を考えたうえで対処することが必要だろう。 そこで宮台は少年犯罪をめぐって生まれている二つの問題を明確に区別しながら指摘している。「ある種の少年犯罪を生じさせないためにどんな処方箋が必要なのかという問題」と「少年犯罪をめぐる科学的に誤った情緒的な世論の噴き上がりやそれを利用した政治的な動きにどう対処するべきかという問題」である。 後者に関して問題になるのは、メディアの紋切型報道や政府によるメディア規制、少年法厳罰化の動きである。メディアや識者はすぐに「病名探索」と「動機探索」を試みるが、それは「端的に無意味」であるのみならず、全ての問題を隠蔽してしまう。処方箋にむすびつくのは「人を殺すことの敷居が何ゆえにかくも低くなったのかについての、学問的な考察だけだ」と宮台は断じる。 当然ながら厳罰化も本書で話題になっているような犯罪事例の減少には役立たない。犯罪統計上は、重罰化によって性犯罪と軽犯罪は抑止できるが、殺人には抑止効果のないことが明らかになっているから。 また重罰化によって被害者の感情的回復をはかるという考えも宮台は否定する。被害者と犯罪者との間にコミュニケーションのチャンスを設けることで被害者の感情的回復を図れるように制度設計するのが世界標準であって「重罰化でそれを図ろうとするのは野蛮そのもの」という。 社会学者たる宮台の主張は、時に精神医学の知見を軽視する。香山はここでの自分の役割を自覚しているのか、発言は宮台の見解を引き出す問題提起的なものが多いが、精神医学の立場から宮台の主張を補強するような対応もみられる。また、メディア批判が強まっている割にはメディアに対する漠然としたリアル感が無批判的に醸成されているという香山のメディア論などけっこう的を射ているように思われる。 議論の展開にあたっては、青山真治の《ユリイカ》が参照点としてしばしば言及されているのがおもしろい。後半、青山本人が参加して議論に厚みを加えている。対談(鼎談)集としては中身の濃い本ではないかと思う。
by syunpo
| 2015-12-15 20:30
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