●待鳥聡史著『代議制民主主義 「民意」と「政治家」を問い直す』/岩波書店/2015年11月発行
代議制民主主義に対する批判が強まっている。現在の政治は社会全体の利益あるいは民意から全くかけ離れて、政治家たちの個人的・党派的利益のみが追求されている、それはひとえに代議制民主主義の不備によるものではないのか、と。本書は制度そのものに対するそのような批判や否定が本当に正当なのかどうかを判断するために、代議制民主主義のあり方と意義を改めて考えるものである。 現在、多くの国で採用されている代議制民主主義とは自由主義と民主主義とが結びついたものである。その認識が本書の中核を成す。 権力を制限するための自由主義と、権力を握るための民主主義が、有権者資格の拡大を媒介にして結びついたのが、二〇世紀の代議制民主主義だということもできる。(p69) 一九世紀までは議会は自由主義のための空間であった。自由主義は、多様な考え方や利害関係を持つ人々の代表者(エリート)が相互に競争し、過剰な権力行使を抑制しあうことを重視する。これに対して、民主主義は有権者の意思が政策決定に反映されることを第一義的に追求しようとする。選挙はそのための有力な手段である。 最近になって議会が民主主義と結びついたが、両者には別個に生まれてきたことに伴う原理的な緊張関係が存在している。 ところで、代議制民主主義には有権者を起点として、政治家、官僚へと仕事を委ねる関係が存在する。政策決定を委ねられた政治家、政策実施を委ねられた官僚は委ねた人々の期待に応える行動をとらねばならない。そのような行動をとっていると説明できる状態を「説明責任」がはたされている状態という。つまり代議制民主主義には「委任と責任の連鎖関係」が存在する。 こうした連鎖関係や誘因構造を決定づけるのは政治の制度である。それは執政制度と選挙制度とに大別できる。各国の代議制民主主義が持つヴァリエーションも、執政制度と選挙制度の違いから生じる誘因構造の相違によって成立する。本書ではこれら二つの制度を基幹的政治制度と呼んでいる。 基幹的政治制度の細かな検証については省略するが、以上のような文脈で代議制民主主義への不信の強まりを考えるならば、「代議制民主主義が抱える自由主義と民主主義の間の緊張関係が再び顕在化していること」に問題があるということになる。ゆえにその不信を解消していくためには、両者の緊張関係をときほぐし最適なバランスをととのえることが最重要ということになるだろう。 ここで一つ留意しておくべきことは、選ばれた政治家の性格や役割についてである。一般に政治家は民意を忠実に政策決定へと反省させることを強く求められる。しかしそれは政治の一面にすぎない。 ……代議制民主主義において行われる選挙は、民意を忠実に政策決定へと反映させることのみを目指したものではない。歴史的にも、政治家(委任を受ける者)は、選出母体(委任を行う者)である有権者の意思を忠実に反映すべきだとする「命令的委任」や「地域代表」の考え方と、政治家はいったん委任を受ければ有権者の意思から自律的に社会全体の利益を追求すべきだとする「自由委任」(あるいは「実質的代表」「国民代表」)の考え方が、一八世紀後半以降鋭く対立してきた。(p220〜221) したがって重要なのは、代議制民主主義の機能不全を改善しようというとき、強化したいのは自由主義的側面なのか民主主義的側面なのかを意識しておく必要があるということである。 上に記したように今日では民意を忠実に政策決定へと反映させることを求める声が大きい。それは代議制民主主義の民主主義的側面を強調した改革ということになるが、それが貫徹された場合、多数者の専制という弊害が生じる可能性(自由主義はその抑制に力点をおく)も否めず、ただちに最良の代議制民主主義をもたらすとは限らないことはわきまえておかなければならない。 また、委任と責任の連鎖関係の機能不全が代議制民主主義の課題の根底にあり、それを円滑に機能させることが本来の改革の目的だとすれば、今日声高に叫ばれている政府や議会の人員削減や待遇引き下げだけではプラスの効果は期待できないことも明らかだ。アクターの誘因を十分に考慮していないからである。 本書の認識では「代議制民主主義は、アクターの誘因をよく考えた、本来的に巧みな制度である」。代議制民主主義を補完するものとして熟議民主主義などの理論や実践も台頭してきているが、著者はそうした民主主義の新しい思潮に対してもどちらかといえば懐疑的である。 むろん今日の代議制民主主義不信論には様々なレベルのものがある。たとえば単線的な「委任と責任の連鎖関係」に新たな楔を打ち込もうとする國分功一郎のような議論はどうか。すなわち政策実施の段階においても有権者がダイレクトに関与できるチャネルの必要性や強化を説くものである。本書ではそうした課題への言及はなく、その点では不満もないではない。 ただそうした留保をつけたうえで私の感想をいうなら、待鳥の述べていることは基本的に正しいのではないかとも思う。たとえば今日の安倍政権に立憲主義や民主主義そのものを毀損する政策が見られるとしても、いまだ高い支持率を与えているのがほかでもない主権者たる国民である。主権者が執政者に支持を与えている以上、現在の政治にみられる個々の不満を代議制民主主義のせいにすることに思考の飛躍があることは否定できまい。 著者は本書の末尾で次のように述べている。「……人類の巨大知的プロジェクトである代議制民主主義が持つしなやかさとしたたかさを知った上で、それを使いこなせることこそが、現代を生きる私たちに不可欠な政治リテラシーなのである」と。 逆にいえば、政治リテラシーを欠如させた主権者が多数を占める政治社会では、代議制民主主義のしなやかさを充分には享受できず、それ相応の政治しか実現できないということでもある。本書を読んで痛感するのは「代議制民主主義に対する原理的な再検討」という作業そのものの限界である。
by syunpo
| 2016-01-09 09:42
| 政治
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