●小林よしのり、宮台真司、東浩紀著『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島』/幻冬舎/2015年10月発行
三人の論客による鼎談集。第一部は東が主宰する「ゲンロンカフェ」で行なった公開鼎談を活字化したもの。小林と宮台が持説を開陳し、東は司会進行役に徹して発言は控えめだが、冷静な交通整理ぶりが議論の見晴らしをよくしている。二部は一部の討論を受けて三人が非公開で鼎談した記録である。 本書を貫いているのは優等生的な民主主義論に対する懐疑、といえば言い過ぎになるだろうか。少なくとも「今や大衆は信頼するに足りない」という認識は共有されている。 そこで興味深いのは、昨今の社会を覆っている憂うべき現象は反知性主義ではなく「感情の劣化」によるものであるという認識である。宮台がそのことを再三繰り返している。 ……問題は「反知性主義」じゃなく「感情の劣化」なんだよ。道徳心理学者ジョナサン・ハイトが強調するとおり、最先端の実験心理学では、感情が理性を方向づけるのであって逆ではないことが証明されている。感情が劣化しているから知性を尊重できないんだよ。だから処方箋も理性ならぬ感情の涵養にあるわけだ。(p55) 大衆が劣化した感情で巨大な権力に依拠し、巨大な権力は劣化した感情を容易にコントロールする、という悪循環。当然「感情の涵養」にあたっては一種のエリート主義が提起されることになる。ミクロには理を説き、感情的動員に対しては感情的動員で闘うしかない、というのが宮台の考えだ。 東もコンテクストは異なるが、クリエイターたちの民主主義的な態度に批判の目を向けている。 昔は美術や建築といえば、アーティストや建築家が大所高所の見地からビジョンを提示するものだった。でもいまは、まったくそうじゃない。むしろそういう態度は嫌われるのですね。これはあらゆる分野で起きている変化で、とにかく徹底した権威の否定、そして無限のコミュニケーションが正義だということになっている。(p170) そこからさらに「当事者至上主義」について批判的な議論が展開される。沖縄の基地問題や福島の原発事故を考えるにあたっては当事者に寄り添うことが一般には是とされるが、ここではそうした態度こそが批判の対象となる。問題を抱えている地元の「当事者」の気持ちを第一に考えることが「行き過ぎると学問やジャーナリズムの自殺になると思います」と東はいう。宮台も同調して次のように述べている。 ……佐藤優に代表される「当事者主義」は、当事者の多様性を覆い隠して「これが本当の総意だ」みたいなフィクションをでっち上げ、自分は当事者の側に寄り添うかのごとく扮技し、「宮台やよしりんは上から目線で御託を垂れている」という批判をこちらに向けてくるんだよな。(p172〜173) 琉球人が提唱する琉球独立論、とりわけ琉球民族独立総合研究学会のような閉鎖的な独立運動も当然ながら宮台は厳しく指弾する。重要なのはアイデンティティの確認ではなく価値をシェアすることなのだ、と。 言論人たる者、多かれ少なかれ上から目線でモノを言う。そのことじたいが問題になると私には思えない。賛同するによ反発するにせよ、本書には優等生の民主主義論にはない小気味よさが感じられる。こういう小気味よさに触れることも私にとっては読書の快楽の一つである。
by syunpo
| 2016-03-02 10:38
| 政治
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