●水上勉著『若狭がたり わが「原発」撰抄』/アーツアンドクラフツ/2017年3月発行
作家と故郷とは切っても切り離せない関係がある。人の書くものは生まれ育った土地の風土や文化から少なからぬ影響を受けるであろうことは否定しがたいから。その強固な結びつきの例としては、織田作之助&大阪、中上健次&紀州、大江健三郎&四国の山林……などなどいくつものケースが思い起こされるだろう。それに加えて、水上勉&若狭を想起する読書家も多いにちがいない。 水上の故郷(当人は「在所」という言葉を使っている)は福井県大飯町。今では大飯原発のあることで知られるが、若狭湾一帯ではそのほかにも多くの原子力発電所が作られ「原発銀座」と呼ばれるほどになった。 生前の水上は在所のことを書くときには必ずといっていいほど原発に言及していたらしい。らしい、というのは私自身は不勉強ゆえ同時代の読者としてそのような文章に触れる機会がなかったからである。本書は、在所と原発に関するエッセイと短編小説二篇を収録している。 若狭の磯で、針にサナギをさしこみ釣り上げた黒鯛の大目玉とウロコの輝きをきのうのことのように思い出す。夜釣りで働く舟の灯が沖でゆれるのを見ていたら、一瞬、それが御神燈のようにみえて合掌したくなった時を追憶する……。 ……子どもの頃に親しんだ美しい海や山にまつわるノスタルジックな感懐のなかに、原発が顔をのぞかせる水上の随想は時に詠嘆の調べになり時に憂いを含み告発的な調子をおびる。 戦争中、岬からニッケルがとれるとかで「山を赤むけにしていた時代」がったという。多くの朝鮮人労働者が徴用されてきて、岬の裾に飯場をつくり、山を切りくずした。それから四十年後、再び原発のために山の切りくずしが始まった、と水上は書く。それが在所の話なのだから、悲観の調子になるのは当然のことだろう。 新しい戦争がはじまっているような気がしなくもない。いつの世も辺境は国の方針で山野をけずられて生きるか。(p107) またチェルノブイリでの事故が水上に与えた衝撃は大きく、そこからあらためて強くなった憂慮の念が随所に表明されてもいる。事故が発生し、住民十五万人に避難命令が出たとき、どこへゆくのか、との懸念から発せられる問いかけはすぐれて具体的だ。 海岸に一本しかない国道は、夏の海水浴客でさえ一寸きざみのパニックとなる二車線の自動車道路があるだけだ。十五万仞が一気に鍋釜、フトンを背負って列を組んだら、またたくまにパニックだろう。そのパニックをくぐりぬけて、かりに勇敢なのが山坂こえ、綾部や福知山へたどりついても、放射能まみれの若狭人を泊めてくれる家はあろうか。(p99) 震災に関する警鐘もしっかと鳴らされている。 ぜったいに安全だと行政はいっているが、人災にはいくら気をつけていても、地震でも起きたら、という考えも凡人ゆえにもつのである。若狭は、昭和のはじめに丹後峰山大地震があり、大きくゆれた。(p118) 人間はどうして美しい山河を破壊してまで、後世の人々にツケを回す原発のような営みを始めてしまったのだろうか。何故私たちはそれを止めることができなかったのだろうか。 原発が一つの政治決定の結果もたらされたものと考える時、水上の随想はいささか素朴にすぎるかもしれない。だが、原発の是非が国政選挙のレベルで大きな争点になったことは一度もなかったことを思えば、水上の姿勢をそのような観点で揶揄することはフェアではないだろう。 水上が他界した後、〈三・一一〉を経験した私たちは、水上が執拗に問いつづけていた憂慮が現実のものとなったことを痛恨の思いで読む。それだけではない。反原発運動に参加している女性の家を訪ねると、警察と役場へ誰かが通報するという挿話が本書のなかで紹介されている。共謀罪法の恐ろしさは、権力が国民を監視すること以上に、国民が国民を監視しあう空気を醸成することにあると言ったのは内田樹だが、その前例がすでに若狭の原発銀座で現象化していたともいえよう。 水上は「はなやぎ」ということばを好んだ。「文芸をやるということのはなやぎ」という風に。本書にみえる水上の予言的な言葉はけして「反原発」「脱原発」という単純なスローガンにおさまりきるものではない。それらは文学者の、いや、一人の人間の温もりを感じさせる肉声というべきものではないだろうか。
by syunpo
| 2017-07-06 20:05
| 文学(小説・批評)
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