●エラ・フランシス・サンダース著『翻訳できない世界のことば』(前田まゆみ訳)/創元社/2016年4月発行
言葉はそれを使う人間の思考様式や世界観とは切っても切り離せないものである。当然のこととして、他の言語に訳すときに適切な訳語がみつからない、各地域固有の言葉というものが存在する。 本書はそのような「翻訳できない世界のことば」を集め、独自の語釈によって編んだユニークな「単語集」。著者自身の可愛いイラストが一語ごとに添えられていて、絵本をめくるように楽しく読める。二〇一三年にブログで発表した〈翻訳できない世界の11の言葉〉という記事がきっかけで生まれた本らしい。 〈COMMUOVERE=コンムオーペレ〉は、イタリア語で「涙ぐむような物語にふれたとき、感動して、胸が熱くなる」という意味の動詞。〈SAMAR=サマル〉は「日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」をあらわすアラビア語の名詞だという。 インドネシア語の〈JAYUS=ジャユス〉は「逆に笑うしかないくらい、じつは笑えない、ひどいジョーク」を意味することば。たしかに日本語にはこれを一語であらわす言葉はないかもしれないが、これに相当する発話行為は多くみられるようになった気がする。 〈RESFEBER=レースフェーベル〉は、スウェーデン語で「旅に出る直前、不安と期待が入り混じって、絶え間なく胸がドキドキすること」。 独特の郷愁を意味するポルトガル語の〈SAUDADE=サウダージ〉は、最近日本でも映画のタイトルに使われたりして、おなじみの言葉だろう。 各単語のつづりは英語表記に基いているが、原語文字のつづりもあわせて記されている。著者は日本語にも強い関心を抱いているらしく、四つのことばが登場する。〈コモレビ=木漏れ日〉〈ボケット=ボケっと〉〈ワビ・サビ=侘び寂び〉〈ツンドク=積ん読〉だ。「木漏れ日」を選ぶセンスには感心した。 ただ〈ワビ・サビ〉の語釈は「生と死の自然のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見出すこと」となっていて、やや伝統的解釈とはズレている。が、巻末に「単語の説明は、著者独自の感性により解釈されたもの」との但し書きが添えられていることだし、本書を読んで「本来の意味とは違う」とクレームをつけるのは詮無いことだろう。正統的な語釈を知りたければ、きちんとした辞典を引けばよろしい。 著者のエラ・フランシス・サンダースは、イラストレーターとしても活躍しているようで、モロッコ、イギリス、スイスなど「さまざな国に住んだ」経験が本書のような企画を可能にしたのだろう。 「言葉は、真実を、人の心がうつしだすわずかなものに減少させてしまう」というエッカート・トールの言葉に疑義を呈して「言葉は、わたしたちにとても多くのものをあたえてくれます」と言い切る。さまざまな言葉との出会いを楽しんできたにちがいない著者ならではの感性が詰め込まれた愉しい本であるといっておこう。
by syunpo
| 2017-07-08 10:38
| 文学(翻訳)
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