●吉次公介著『日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点1951-1964』/講談社/2011年9月発行
戦後の日本外交の基軸は日米関係にある。日米関係はいつしか日米同盟とも呼ばれるようになったが、それは対等なものでないことは誰もが知っている。その基底にあるのは「負担分担」という大義名分であるが、ではその構図はいかに形成され、定着したのか。本書では、日米安保体制の形成から安保改定を経て、池田勇人政権に至る時代に焦点をあてて、この問いに答えようとする。池田政権期は日米安保体制史上において、目立たないが、きわめて重要な岐路であったというのが本書の認識である。 米国と日米安全保障条約を結んだのは吉田茂政権期である。吉田首相は、日本が十分な軍備を持つまで、日本の防衛を米軍に委ねるつもりであった。他方で米国はアジア戦略上、占領終結後も日本の駐留させたいと考えていた。その意味では「日米の立場は五分五分のところである」と外務省がみなしていたのは卓見である。 しかし、できあがった安保条約は「五分五分」ではなかった。在日米軍の日本防衛義務が明記されないばかりか、日本が「日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望」し、米国がそれに応じるとの内容になったのである。 ……吉田茂が大きな問題点を安保条約に内包させてしまったことは、指摘されねばならない。その問題点とは、在日米軍はアメリカが日本に与える“恩恵”であり、日本はそれに見合うアメリカへの「貢献」を求められるという論理構造が、日米安保体制に埋め込まれたことである。(p26) 真理をついていた外務省の論理が日米交渉で通じなかったのは、日米の力関係とダレス国務省顧問の巧みな交渉術ゆえであったと吉次はみている。 後任の岸信介首相は吉田の「対米追随」を批判し、対等な日米関係の具現化を目指すことを信条としていた。ゆえに日米安保条約についても対等なものに改定しようとしたのは当然である。新条約で米軍の日本防衛義務が明記されたことは大きな成果であったといえよう。 しかし国民の間からは大がかりな反対運動がわきおこった。社会党は「日米同盟の強化にほかならない」と批判した。それ以上に国会における岸の強硬姿勢が大きな反発を引き起こす要因の一つとなった。 また後になって、日米間で事前協議制度に関する密約が取り交わされていたことも明らかになった。事実上、密約のために事前協議制度は形骸化していたのである。そうした意味では新安保の「対等性」は形だけのものだったといえる。 その後を継いだ池田政権にとっては、安保闘争によって深手を負った日米関係の修復が最大の懸案となったのである。 池田は所得倍増計画を前面に押し出すなど、国民の関心を政治から経済へとシフトさせたことで一般には知られる。池田政権は「経済の季節」の到来を見事に演出したのだと。 しかし日米関係の安定化は政権維持のためにも必須の課題であった。その対外政策において「自主独立」問題はすでに後景に退いていた。冷戦構造が顕在化するなかでケネディ大統領のスローガン「イコール・パートナーシップ」と池田の「大国」意識は互いに共鳴しあうものであった。 かくしてケネディ政権は防衛面での「負担分担」を強く求めるようになる。自衛隊の兵力増強など米国は日本に対して軍備の拡充をいっそう強く求めてきたのである。池田はそれをそのまま受け入れたわけではないが、結果的には米国の要求に沿うような形で政策を決定していったことは否めない。岸政権下で取り交わされた核密約に関しても、大平外相とともに密約の確認を行ない、それを明確に拒否することはなかった。 さらに重要なのは、池田政権はアジア諸国とも積極的な外交を展開して対外援助につとめたことである。日本はアジア各国との関係において、自由主義陣営の大国として振る舞うことで存在感を示そうとした。米国は日本の防衛政策に満足することはなかったが、日本側はアジアへの対外援助によって「負担分担」をアピールしたのである。 ……一九五〇年代の日本外交にとって、「敗戦国・被占領国」の残像を払拭し、対米「対等」や「独立の完成」を実現させることが急務であり、再軍備や対外援助はそのための手段と位置づけられていた。それに対して池田政権の対外政策は、アメリカの「イコール・パートナー」である「自由主義陣営の有力な一員」となった以上、それに相応しい「負担」を分担すべきとの論理に立脚していた。池田政権の「大国」志向と日本の経済成長、そしてアジア冷戦の激化とアメリカの苦境により、日米安保の「負担分担」の構図は新たな段階を迎えたといえる。(p191) 以上みてきたように、本書の考察には教えられるところが多かったけれど、引っかかるところもなくはない。オフィシャルな外交文書などに典拠してもっぱら政権中枢の言動を描出しているため、政権サイドに立った書きぶりにはやや違和感を覚えた。たとえば池田へのメディアからの酷評を「揶揄」といったり、社会党の質問を「レトリック」と決めつける表現などだ。 また、当時の考えられる選択肢を指摘し、そのなかで政権の選択した政策を吟味するいう記述にこそ歴史を学ぶ面白味があると思うのだが、本書の書きぶりにはそうした歴史への想像力を喚起させる力にも乏しいような気がした。 むろん、そうした点を差し引いても本書が戦後の日米関係を学ぶに有益な本であることは間違いない。これからの日本のあり方を考える場合、日米関係を抜きにすることはできない。その意味では今日につながる日米同盟の舞台裏を知っておくことは意義深いことであるだろう。
by syunpo
| 2017-07-15 18:36
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